la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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甘いものなんか要らない
「この世界というのは、わかりきったことばかりで成り立っているのだけど、誰もがそれをしっかり観察しているわけではないのだ。」
(『バスカヴィル家の犬』サー・アーサー・コナン・ドイル)


世界との歯車がどうにも噛み合わない日々。

・信号が青になっているのに気づかず、後続の車に軽くクラクションを鳴らされた。

・「お腹がすいた」と言ったら、持久系スポーツの補給食を差し出された。

・「しんぶんしありますか?」という質問に「新聞紙、ですか?」と訊き返したら、「え? いえ、あの、お手洗い…」と言われた(王様の耳はロバの耳、私の耳はバロの耳。バロって何だ?)。

・皆が「超絶美人!」と言って騒いでいる女の子を見に行ったら、「普通に可愛らしい」女の子が「普通に可愛らしく」にこにこしていた。とても可愛らしかった。

・お客さんからとつぜん「わしの頭より小さいな!」と(怒ったように)言われ、呆然として何も答えられずにいると、「わしの頭より小さい、言うてんねん!」とさらに怒られた。

・紅茶を淹れようとして、インスタントコーヒーの蓋を開けた。

・マシャの夢を見た。バス旅行をしていてツアーガイドのお姉さんから「この人がマシャです」と、長身で痩せぎすの女性を紹介された。「あのー、最近では一般的に、マシャというと福山雅治のことでは」と疑義を呈すると、ガイドさんに「違います。この人は特別なマシャです」と不思議な理屈で一喝された。マシャというのはトルコのパシャ(将軍)みたいな、何か特別な称号なのらしい。その長身で痩せぎすの女性はきっと魔法使いなのだ、と私は思った(私は福山雅治のファンでは全然ない)。

・夜、部屋に巨大なゴッキー(ゴキブリの愛称)が出て、凍止ジェットがなかったのでやむをえず殺虫剤で撃退するも、本棚の後ろに逃げ込まれた。その後ずっと部屋が殺虫剤臭くて、窓を全開にしていても自分が毒を吸い込んでるような気がしてなかなか眠れなかった。

・巨大ゴッキー騒動の翌朝、職場にミニミニゴッキーが出て、こんなの可愛いもんだよー、とガムテープで撃退を試みるも敢えなく失敗(ヤツらガムテープにはくっつかない体質らしい)、けっきょく同僚にティッシュで撃退してもらう。

うん、まあ、そういうこともある。
・・・あるよね?

追記。
この世界がわかりきったことばかりで成り立っているとしたら、そしてそれをちゃんと観察していられるとしたら、それなりに優越感や万能感はあるのだろうけど、そんな人生ってきっと、退屈でつまらないものだろうと思う。
歯車が噛み合わずに躓いたりよろけたりするのは、後になってみれば笑えるエピソードになるし。

笑い話は、生きる糧だ。
そして、他人より自分を笑えるか否かが、たぶんほとんど、その人の幸/不幸を支配するように思う。
デブも、ハゲも、阿呆も、不細工も、ぶきっちょも、まず最初に自分でそれを笑うことができればそれはハンデではなく切り札に変わる。
そして、どんな理由であれ他人を笑う人は、その笑いが羨望、妬み、侮蔑、嫌悪、それらのどの段階にあっても、本当の幸福を見出すことはできないだろう。

うん、自虐ネタというのは他者を傷つけずに済むのが良い。
馬の身喰いみたいなもの?
いや、きっとワインの発酵みたいなものだ。
.きっと。
まあ、無理にでもそう思うことにしよう。
悪夢は悪夢のままに、黙祷
「人形の如くに抱かるる原爆忌」
(谷崎潼子)


急な坂道の多い、ひどく入り組んだ石畳の路地。
そんな中にごちゃごちゃと家が建っている町並みの中で、私がいるのは、小さな教会堂だ。
とりたてて厳粛なわけでもないささやかな礼拝の途中。
教会堂の窓からは、すぐ隣に立つ大きな講堂のガラス張りのファサードが見える(何故だかニューヨークのクライスラービルにそっくり)。
牧師の説教の途中、不意に、窓越しにそのビルが爆発、炎上するのが見える。
ああ、皆あの中にいるのに。
たぶん両親も、友達も。
教会堂の中にいる人たちは、頭を下げているので気づかない。
牧師は窓を背にしているので気づかない。
その時、私は思ったのだ。
どうせこの町はもう駄目だ。ここにいる人も、私も、町じゅう誰一人として助からない。
だから、誰も気づきませんように。
せめて、誰も気づかないまますべてが終わってくれますように。

そんな夢だった。

翌朝起きたときにはその夢はもう思い出せなくなっていて、私は仕事をしている間じゅうずっと、思い出そうとしていた。
その夢の原因が何だったのかが解ったのは、ようやく夕方になってからだ。
不意に、階段を踏み外すような軽いショックと共に、ああ、と思った。
あの町は、長崎だ、と。

八月は、一年でいちばん嫌いな月だ。
嫌でも戦争のことを「思い出す」。
実際に体験したわけでもないのに、それでもやっぱり「思い出す」のだ。
原爆はもちろん、飢えや空襲を経験したこともない。長崎の町にしても、中学校の修学旅行でちょっと行っただけで、実際の町並みなんか何も知らない。
それでも、私はやっぱり「思い出す」のだ。

原爆投下前日の長崎を描いた、井上光晴の『明日』という小説があるそうだ。
明日、という、普通ならば希望と可能性に満ちているはずの言葉が、底なしに恐ろしく絶望的に響く。
怖くて読めない。

忘れないこと、語り継ぐこと。
とにかく、それはとても重要で、必要だ。
絶対に、二度と、戦争をしてはいけない。

たぶん、私の悪夢はそのためにあるのだろう。
脆弱な精神のゆえに「戦争教育がトラウマになった」なんて、生爪剥がされても言っちゃいけない。
というか、トラウマになるくらいで丁度いいんだ、と思う。
むしろこの季節、何喰わぬ顔をして過ごしている人を見るほうが、どことなく空恐ろしいような気持ちになるのだから。
灰紫に煙る花の思い出
うちの隣の敷地は、何だかよく解らない空地である。
草木が野放図に生い茂り、時折、所有者らしき人が伐採や何かをしている気配はあるものの、棕櫚の葉がうちの窓に触れてさらさら鳴り、巨大な桐の木が春には若葉を吹き出し、秋には庭や屋根の上に萎れた花やら乾燥した葉やら実のガラやらをたっぷり降らせる。
そういう葉っぱや花や実や枝や、屋根の上に積もるのを、年に一度(ということは今までに二度くらいだけど)、脚立で屋根に上がってせっせと掃除する(でもこれはけっこう楽しい作業で、初めて屋根に上ったときは家人の差し入れてくれた冷たい麦茶を片手に、沈みゆく夕陽を、何とも言えない幸福感と共に飽かず眺めたものだ)。
結局のところ、かの木は(借景ながら)我が家のシンボルツリー的な存在だったのだ。

異変に気づいたのは昨年の春頃(だったと思う。もう少し前だったかも)。居間から窓の外を眺めていた時、その木の根元近くに生々しい傷痕があり、チェーンソーか何かで削り取られたその切り込みに木製の楔が幾つか打ち込まれているのを発見したのだ。
誰かが木を切りかけている。
切りかけたその木の傷痕に、おそらく不意に倒れてしまわないようにと、楔を打ち込んでいる。
何と言うか、その時点で衝撃を受けたし、自分のものでもないのに強い喪失感に襲われたのを覚えている。
たぶんあの時、もうこれはダメだ、と私は確信していた。

その春、その木はほとんと葉をつけず、冬枯れしたままの姿でそこに立っていた。
それから少し後になって、私の仕事が休みだったある日のこと。
不意にチェーンソーの音がして、慌てて家人に報告。
回転式の草刈機が道端で使われているだけで寒気がしてしまう困った性分な私を尻目に、家人はジェイソン相手に(いや、もちろんジェイソンではないんですが)直談判しに行き、果敢にも連絡先をゲット(というと合コンの手柄話みたいですが)。しばらく話をして、こちら側に倒れてこられると困る、よその家に向かって倒れられても困る、という危惧をきちんと伝えてもらう。

結局、お隣さんはその桐の木を、少しずつ切ることで弱らせ枯らしながら、最終的に綺麗さっぱり伐採してしまうつもりらしい。
しかし、15メートルはあろうかという立派な大木だ(幹は私の両手では抱えきれないくらいの大きさ)。
その土地に華奢な芽を出してから数十年にはなるのだろう、そういう感慨や自然に対する敬意や畏怖を抜きにしても(私としてはむしろそちらに意識が向くのだけれど)、軽々に切り倒せるようなものではない。何しろ周囲にはうち以外にも民家があるし、その土地自体がそんなに広くもなく、他にも草木が生い茂っているのだ。

そして昨夜。
どうした神様の気まぐれか、それとも我々がかの木を愛していたことがかの木に伝わらなかったのか、それともこれがかの木なりの我々の愛への(まさしく木なりの、他意のない)返答だったのか。
いや、もちろん根元は茸に蹂躙され、若葉をつける力も残されていなかったかの木には、暴風雨に抗う力など残されていなかった、ただそれだけなのだとは解っている。
夜半(おそらく12時半頃)、かの木は根元から折れて我が家に向かって斜めに倒れ込み、一階の張り出し部分の屋根を直撃、屋根と壁とを押し潰して息絶えた。

ちょっとしたお祭り騒ぎ。
何せ風雨は続いている。バリバリに裂けた壁から風が吹き込み、雨が降り込む。
しかも夜中、こちらは寝ぼけ眼、嬉々として乱入してくる蚊の猛威に晒されつつ、濡れては困るものを寝室から居間へ運び出し、ああ、何てことだ、と呟く自分が存外に冷静なのに驚く。

木が倒れてきた。
おうちが壊れた。
んでも、とりあえず寝て、朝が来てから考えよう。
そう思った。

んで、私が無事だった二階の自室で(さすがに眠れなかったけど)ごろごろしている間、家人は家財保険とか損害賠償とかについてかなりがっつり調べていたらしい。
今朝は六時半頃から警察やら消防やら町役場やら、色んなとこから色んな人がきてわやわやして、やっとみんな帰ったと思ったら今度はNHKが取材に来ていた(ちなみに私はそれらの対応をぜんぶ家人に任せて、存在しないフリ=寝たフリをしていた)。

うちはNHKの受信料なんか払ってないし(というかご承知の通りテレビと縁を切って久しい)、ややこしい時に物見高に取材に来られてもうんざりするのだけど、家人は一応、冷静に取材に応じた模様(このとき私は寝不足の寝起きで、洗面所で歯磨きをしていた)。でも後になって、「何で安保法案の強行採決を中継しなかったんですかって、訊きたくてしょうがなかった」と家人。
あはは。そうだよね。
うん、そうなんだ。
たぶん私も、そう訊きたかった。

まあ、自分たちで木をどうこうできるわけでもないし、今日は仕事に行っても良かったのだけど、昨夜ほとんど寝てないので、さすがにこの状態で車を運転するのは危険だと思い、職場に欠勤の連絡(何故だか報告しながら笑ってしまった)。

幸い、キッチントイレやお風呂や、生活に不可欠な空間は無事だったので、朝ごはんも昼ごはんも夜ごはんも、やや非常食じみてはいたけれどちゃんと食べた。

台風による被害。
まあ、そうだよなあ。
でもこの木がちゃんと生きていたら、台風くらいで倒れはしなかった。
法的な見地に立って見ても、明らかに「災害」ではなく「過失」らしい。
そりゃそうだよ。
生きてた木を、殺すこと目的で、風雨に耐えられないまでに弱らせたんだから。

今も、まだ木は撤去されずに、屋根の上に圧し掛かっている。
そして雨は降り続き。

今となっては、二次災害にならず無事に木が撤去され(感傷的な話をするなら、私はこの桐の木に対して「撤去」なんていう無機質な言葉は使いたくない)、大事な部屋が修復されることを願うのみだ。

不意に、震災や福島の原発事故で避難生活を余儀なくされている人たちのことを思う。
まあ、うちの場合はただ木が倒れてきただけなんだけど、それでも思う。
大木を切りかけで放置しちゃいけないのと同じベクトルで(レベルが同じだとは言わない、ベクトルが同じというのもちょっと違うかもしれない、でも方向だけは間違いなく同じ)、原発問題をずるずる放置しちゃいけない。
つまり、制御できると思い込むのが傲慢。
「大丈夫だろう」という安直な思い込みが、想定外の事態を引き起こすのだ。

自分を過信しちゃいけない。
そして、自然を侮っちゃいけない。
家の上に桐の木が倒れてきたという単純極まりないことから私が導いた結論は、何故だか、その二点だ。
最後じゃなかったボレロと、最後のボレロと
シルヴィ・ギエムが来日する。

数年前、フェスティバルホールでの公演「最後のボレロ」に行った時の苦い思い出はまだ記憶に新しい。というか、たぶんあの記憶が古びることはない。良くない意味で。

音楽が生オケではなく録音だったのは仕方がないとして、音響そのものが酷かった(ホールのせいではなく録音のせいだと思う)。おまけにプログラムに『春の祭典』が入っていて(私はストラヴィンスキーが苦手だ。実はボレロが唯一の例外というくらいベジャールも苦手だ)、堪えて観ているうちに気分が悪くなり、『ボレロ』が始まる前の休憩を挟んでも頭痛と吐き気が治まらなかった。最後の『ボレロ』、ダンサーの手だけがライトに照らされるあの幕開け、ずっと心待ちにしていた瞬間。それなのに私は頭痛と吐き気に襲われたまま、録音のラヴェルに携帯電話の振動音そっくりの音が入っていて「もしかして私の携帯?」などと不安になったりして(開演前に間違いなく電源を切っているのに)、そんな状態ではもう舞台の上の演目が何だろうと踊っているのが誰だろうと、感動なんか起きない。ぜんぶ台無し。私は完全に取り残され、舞台から「置いて行かれた」。
一緒に行った友達はちゃんと「連れて行かれた」(チケットさえあれば次の広島公演まで追いかけたい、と言っていた)ので、これはギエムのせいでもホールのせいでも東京バレエ団のせいでもなく、完全に、私のせいだ。

当時、びわ湖ホールのサポーター活動の一環で自分の観た公演のレポートを提出していたのだけれど、この日の公演レポートの最後はこんな文章になった。
「お願いですマドモアゼル・ノン、貴女のボレロをもう一度、私に見せてください・・・(「ノン」・・・)」。

マドモアゼル・ノンというのは、何事にも妥協しないために「否(ノン)」としか返事をしないと言われているシルヴィ・ギエムの愛称だ。
もう一度見せてくださいと頼んだところで、絶対に「ノン」と言われるだろうと思いながら書いたことを覚えている。

それが。
それがだ。
ギエムが本当に現役を引退するにあたって、最後の最後に、「ボレロ」を含む演目でツアーをするのだそうだ。
日本に来るのは、今年の12月。

行きたい。
何をさておいても行きたい。
ギエムの本当に最後のボレロ。
プログラムには幸い、ストラヴィンスキーの名前はない。
携帯なんか、電源を切る以前に最初から持っていかない。
ああ、でもチケット発売日は出勤日だ。
多分あっという間にソールドアウトなんだろうな。
でも数年前、女王ギエムの公演をその観客に相応しからぬ状態で観たことが、あれからずっと引っかかっていたのだ。

もしチケットが、買い手の「観たい度」に応じて割り振られるんなら、間違いなくS席が取れるだろうに。
などと、くだらない物思いをしつつ。

まあ、人事を尽くして天命を待つ、か。
ワラジムシ、ドーバー海峡、舌と靴底
過日、スーパーに買い物に行って、鮮魚売り場で何やら不気味なものを見つけた。
平たく、のっぺりしている。
ワラジムシとナマコの合いの子のように見える。
兵庫県産。
380円。
パックに貼ってあるシールには、産地と価格がそう印字されている。
そしてもうひとつ、「舌ヒラメ」の文字。

え? 舌ヒラメ?
もしかしてこいつ、舌平目なの?
※ちなみに私は、舌平目というのはドーバー海峡でしか獲れないものだと思っていました。

大きさは頭も入れて30cm弱。二尾入って380円。
安すぎる気もするけれど、腐っても舌平目だろう、きっと、多分。
「今日の晩ご飯、舌平目のムニエルだよ」って、貧乏グルマンな私にはどうしたらいいか解らなくなるようなズレ感と高揚感があって、パックをカゴに入れてそのまま躁状態に突入。
※実は舌ヒラメと舌平目は別物だったとか、調理に大失敗したとかいうオチは、あってほしいけどありません。

家に帰ってさっそく、インターネットで舌平目の捌きかたを調べる。
とても丁寧な解説が見つかる。
「意外と簡単です」と書いてあって、確かに意外と簡単だな、と思う。
裏側から喉もとへ包丁を入れて、皮一枚のこして切り込みを入れる。頭をわし掴みにして、反対の手で身をわし掴みにして、頭とつながっている表側の皮をべりべり剥ぐ。つもりが、めちゃめちゃ固い。ぜんぜん剥がれない。ぬるぬる滑る。
格闘しているうちに、頭がちぎれる。
そんな悪戦苦闘の末、何とか表裏とも皮剥ぎに成功(まあ、技術的に「簡単」なのは確かだけど、かなり腕力がいるわな、と呆れる)。
皮を剥いてしまえば、実に美味しそうな、綺麗な身だった。
ただ、あまりにはかなく薄っぺらいので、三枚おろしは断念して骨ごと調理することに。

生トマトと人参をオリーブオイルとガーリックで炒め、ちょっと煮詰めて、ハンドブレンダーでピュレにする。
舌平目に塩胡椒をして少しおき、小麦粉をはたいて、バターソテー。

気分を盛り上げるために、なんちゃってフレンチな盛り付けを試みる(うーん、だいぶ残念な感じ)。

でも味は紛れもなく、「舌平目のムニエル」だった。
今までムニエルにしてきたどんな魚より美味しかった。
たぶん、レストランとかで使うには小さすぎて売れないやつを、ほとんど投げ売りみたいにして店頭に並べていたんだろう(勝手な想像)。でも、家で調理するにはちょうどいい大きさだったし、苦労した甲斐があった。

でも今まで売ってるのを見たことがなかったので、もしかするとすごいレアアイテムなのかも。
Y屋という垢抜けない、鮮魚売り場以外には何の魅力もないスーパーだけど、魚だけは充実していて、ほうぼうとか、めばるとか、金目鯛とか、普通に売ってる。
これからも珍しい魚に出会えるのを楽しみに、時々のぞいてみよう。

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