la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
たとえ明日が来なくても
「失望を怒りに、怒りを嫌悪に、嫌悪を侮蔑に変えるのは容易いことだ。日常の人間関係において、大抵の悪感情はこの段階のいずれかに当てはまる。」
(オリヴィエ・ペサック『反フロイト式精神分析』)


統合失調症。というのは少し前まで精神分裂病と呼ばれていた病気で、この「統合失調」という言葉を初めて聞いた時に私は精神そのものの奇跡的なパラダイム転換だと思って感動したのだけれど、後になって知ったところではどうやらそれは病理の再定義というよりは単に言葉のイメージに配慮しての“呼び変え”だったらしい。精神分裂病と呼ぶと精神がまるごとダメになっているように思えて治る気がしないというのだ。

とは言え、「精神分裂病」という言葉が「本来ひとつのまとまりであるべきものが、バラバラになってしまった状態」を表しているのに比べて、「統合失調症」というのは「本来バラバラであるものをひとつにまとめておく機能が、うまくはたらいていない状態」という意味になっていて、そこでは「精神」はバラバラなものが寄り集まってできていて何かの機能が不断にはたらいてそれをひとつにまとめているのだ、ということになる。

自律神経というものがまともに自己を律してくれた試しのない私には、自分の「統合」機能がうまくはたらいているのかが甚だ疑わしい。たとえば統合失調症の症状として挙げられる「自明性の喪失」ということ。私にとってはこの世界に自明のことなどひとつも存在していなくて、挨拶がうまくできなかったり、人の感情が理解できずにおろおろしたり、質問に的外れな答えを返したりする。それから半年に一度くらい、災害や事故や火事や犯罪や戦争に心底怯える夜がある。この「今にも世界が終わるんじゃないか」というような根拠のない恐怖心を抱くのも統合失調症の典型的な症状らしくて、そうなると私は統合失調症なのじゃないかと不安になってくるのだけれど、幸い統合失調症の人は夢を見ないのだそうで、しょっちゅう悪夢に悩まされる私はどうやらこの病名には当てはまらないらしい。

ただ発達障害の一種ではあるのだろうということは何となく理解していて(程度の差こそあれ発達障害というのは人類の半数くらいは何らかの形で持っているものだとも思うけれど)、私は私のささやかな欠陥がもたらすささやかな苦しみを、安定剤を舌の裏側でゆっくり溶かしながらその薄甘さと共に味わい続けてきた。だから自己の苦しみには、私は慣れている。

けれど、他者の苦しみや剥き出しの感情は駄目だ。それは剣と言うより鋭角に割れたガラスの破片のイメージで私の鳩尾を突き刺す。突き刺された私は口を開けたまま、いつかの警句も忘れてだらだらと際限なく血を流し、スプラッタ映画よろしく内臓がはみだしても手で押さえようとすらしない(どう押さえたら良いのかが解らないのだ)。

ええい、構うもんか。立派なゾンビになってやる。
やや分裂気味の今宵、私は偽悪的に笑ってみる。
心配なのは私のことじゃないのだ。
統合失調だろうと鬱病だろうと発達障害だろうと、好きでなってるわけじゃないんだということを、皆もうちょっと理解すべきなのじゃないだろうか。そして、周囲の対応によってそれらが悪化する恐れもあるのだということを、憂慮すべきじゃないのだろうか。

明日のことが、とても不安だ。
たとえ明日が来ないとしても。
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