la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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アラスへの飛行。先天的通過禁止
「その時、或いは、呼び名を持たないそのものを、僕は理解するかも知れない」
(アントワーヌ・ド・サン=テグジュペリ『戦う操縦士』)


 サン=テグジュペリ。
 私が敬愛して止まない、世界でいちばん好きな作家(翻訳は堀口大學に限る)。
 今まで何度もテグジュペリについて書こうとしたことがあったのだけれど、ずっと書けずにいた。ひとつの大きな疑問が、私の手を鈍らせていた。ようやくその疑問が解けたのは、みすず書房から出ている『戦時の記録』(生前の書簡などを含めた全集)を読んでからだ。
・・・ああ、そうだったのか。
テグジュペリらしくない、と私がずっと考えてきた彼の行動が、本当はあまりにもテグジュペリらしい、というより彼にとっては他の選択肢などあり得なかったのだ、ということが、初めて解った。

「戦争は病気の一種だ」と断言したサン=テグジュペリが何故、フランスードイツの休戦に反対し、前線で戦い続けたのか。
もしかしたら彼もまた、いかにも“雄”的な(男性的な、という表現は敢えて避ける)安っぽいヒロイズムに絡め取られてしまったのかと、(そんなはずがない、とは思いながらも)私は疑っていたのだ。
 もちろん、「そんなはずがない」。
 彼は戦争がしたかったわけじゃない。
 安全な生活を、友人の忠告を、妻の不安を、すべて置き去りにして前線へ戻ったのは、自分が傍観者でいることを許せなかったからなのだ。そして、祖国フランス(念のため、それはフランス政府のことではない)がナチス・ドイツの暴力の前に屈することを許せなかったからなのだ。

 私にとっての戦争は、恐怖に満ちた、誰も望まない、否応無しに人を飲み込んでゆく悪夢だった。それは空襲であり、飢餓であり、銃剣であり、特攻であり、原爆だった。
 ところが、テグジュペリにとっての戦争は、そうではない。
ジョージ・オーウェルの『カタロニア讃歌』から受けた衝撃も、それと良く似ていた。もちろん、いかなる戦争も正当化されてはならないと、私は思う。どんな目的であれ、暴力を肯定するつもりはない。けれど、原爆や特攻を扱った本を読んだ時に私に悪夢を見せるおぞましさは、そこにはないのだ。

 偵察飛行を任務としていたサン=テグジュペリは、自分たちはドイツ軍の「敵ではなく標的」だと(笑いながら)言う。では、もし偵察機ではなく爆撃機に乗っていたら、彼の選択は違っていただろうか。もしも彼の任務が、ドイツの都市を撮影するのではなく爆撃することだったら。非戦闘員の上に爆弾を落とすことを、彼は是認しただろうか。

「先天的通過禁止」と僚友が呼んだアラスへの偵察飛行を、サン=テグジュペリは拒否しない。彼はその任務から生還し、そして書くのだ。「それはそうと、僕はとにかく、ちゃんとした時刻に受取るものは受取っておきたい。僕は愛の権利を持ちたい。僕は自分が誰のために死ぬのか知っておきたい・・・・・・」と。
 その時、遠く隔たっているように思えるフランスの一操縦士と日本の特攻隊員との間に、細い細いつながりが見えてくる。
 そう、テグジュペリが言うように、戦争は誰にとっても「冒険ではない」のだ。
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