la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
秋ゴコロ、旅ゴコロ
「わたしたち誰にとっても、落着く場所などないのかもしれない。ただ、どこかにあるのだということは感じていてもね。もしその場所を見出して、ほんのわずかの間でもそこに住むことができたら、それだけで幸せだと思わなけりゃ。…」
(『草の竪琴』トルーマン・カポーティ)


わけもなく胸騒ぎがする。
風が冷たいのだ。
淋しいのかと初めは思った。ここ数日、立て続けに「知らない家に住んでいる夢」を見て、夢の中の家は不安定に積み上げられた貨物列車のコンテナの最上階だったり(梯子で上り下りする)、間取りの見本のような天井のないスチレンボードの家だったりで、ずっと住んでいるはずなのにシャワーの使い方が解らなかったりもする。私はそれを潜在的なホームシックの表れだと解釈していたのだけれど、どうやらそうではないらしい。

そういう夢の中で、私はそれらの家を何やら胸躍る隠れ家のように感じていたのだ。不安と綯い交ぜになった高揚感が確かにあって、それを思い出した時に「ああ、これは毎年恒例の秋の行事だな」と私は気がついた。

「如才なく心震わせる秋は嫌い」だと書いたのは吉野朔美だったっけ。
微かに、レイ・ブラッドベリのイマージュ。
それから何故かヴァージニア・ウルフ。

荷造りをしなくちゃ。
切符を買って、列車に乗ろう。
行き先はもう決まってるんだもの。

旅に出るのは、水鳥が羽を広げて飛び立つのと似ている。
たぶん、首を伸ばして空に向かうその姿だけではなくて、後にする水面に少しばかり波紋を残すところも。

そう、けさ私の部屋に忍び込んでいたのは、あの高原の空気だった。
フィールド・マジックという名の、蓼科のハーブガーデンをそのまま閉じ込めたようなハーブティー(陽だまりに草いきれをひと欠片、それに木立を抜けてきた微風を少し)を淹れて、ゆっくりと時間をかけて飲む。

それでも私の心は鎮まらない。ますます、強い郷愁が私をそこへ引き戻そうとする。

そしてインディアン・サマー。
今は旅をすることの叶わぬ身に、今日の空はずいぶん罪作りな色をしていた。
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