la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
生き延びるためのアンチ・ラカン
「あなたの欲望は誰のもの?」
(『生き延びるためのラカン』斎藤環)


ラカンが何と言おうと、私の欲望は私のもの。
とうに解ってたはずだ。
フロイトに近づくと、ろくなことはないんだって。

斎藤環は精神科医で、サブカル系の研究本をたくさん出している(『戦闘美少女の精神分析』とか)。ウィキペディアに「東浩紀と親密な交流がありながら決裂していないという珍しい評論家」と書かれていて笑える。私はあんまりサブカルチャーには興味がないので(一応ひきこもり志望だけど私が引きこもってもサブカルチャーには浸からない。一応「押井守が『スカイ・クロラ』を・・・」とかいう話題にもついて行けるけど観に行きたいとは思わない)、本来なら斎藤環の本なんて読まない。おまけに私はフロイトが大嫌いなので、本来ならフロイト派の精神科医の著書を手に取ることなんてない。だから、くどいようだけど本来なら、フロイトの弟子であるラカンを読もうなんて思わない。

だけど、保坂和志の『アウトブリード』に、生活の知恵のメモ書きのようなニュアンスで、「ラカンを読むこと。」と書いてあったのが、ずっと頭の片隅に残っていた。そして、あるとき新聞広告で目にした『生き延びるためのラカン』というタイトルとその煽り文句(「心の闇なんて存在しない!」)。

なるほどラカンが生き延びるのに有用ならば、読まない訳には行かない。まして著者が「知的に早熟な中学生ならすらすら読める」と言うならば。

ところが。
いざ手にとってページを繰ってみると、全然解らないのだ。
幾ら字面を追っても、頭に入って来ない。
もしや私の知力は中学生にも劣るのか、と不安になり始めたとき、不意に私は理解した。
何が書いてあるかが解らないんじゃない。
書いてあることに全然、納得が行かないだけだ、と。

まるで「この鳥はカァカァ鳴くから、スズメだ」とでも言われてるような感じ。言葉の意味は解るんだけど、全然、納得が行かない。堪えて読み進めるうちに、フロイトに感じるのと同じ生理的嫌悪が、ざわり、と背筋を這い上る。ラカンはフェミニストには受けが悪い、と斎藤環は書いてるけど、そういうことでもない。

思い出したのは、佐藤亜紀が『戦争の法』で書いていた言葉。うろ覚えだけど、心理学なんか疑似科学だってこと。個々の精神状態を紋切り型の中に押し込んで解った気になってるだけだって。

フロイト式精神分析は、混乱した心に付け込む。懇切丁寧な「きめつけ」で人の心を縛る。「曖昧なもの」「多義的なもの」「うつろうもの」を無理やり明るいところへ引きずり出して計量して瓶詰めして、そのすべてに「エディプス」というラベルを貼りつける。つまり人の心はすべて性別と幼児体験とで説明されてしまうのだ。


心の闇なんてない。そう言い切るのは結構だ(私もそう思う)。だが、人の心は曖昧で多義的でうつろうものなのだ。枠組みを与えられて説明されればそれで安心する人もいるだろう、けれど、どうしても、私は人の心を「解った気になる」この手の理論に共感することができない。
スポンサーサイト
Comment
≪この記事へのコメント≫
コメントを投稿する
URL:
Comment:
Pass:
Secret: 管理者にだけ表示を許可する
 
Trackback
この記事のトラックバックURL
≪この記事へのトラックバック≫
Designed by aykm.