la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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適度に病んだ僕ら
「絶望は罪である。」(セーレン・キルケゴール『死に至る病』)

 キルケゴールは、「死に至る病とは絶望のことである」と言う。そして、「絶望できないということもまた絶望のひとつの形態である」と言う。そう言って逃げ道を絶っておいて「絶望は罪である」と断言するのだから、読んでいるこちらは笑うしかない。キリスト教においてはすべての人間は罪人であるのでキルケゴールにしてみれば今さらなのかもしれないが、絶望していない人間まで無駄に「それもまた絶望の一形態」などと言って罪人に仕立ててしまうのが恐い。絶望の淵にいる人間をさらに鞭打つようなことを平然と言い放つのも恐い。

 女の子みたいな顔をして、非情なことだ。はは。
 まあ確かに、非情な女の子みたいな顔ではあるのだけど。ははは。

 もっと恐いのは、キルケゴールが伊達や酔狂で言ってるのではないということだ。彼は絶望のことを良く解っている。絶望のことだけではなく、人間の思考と感情のことを。深く静かにそれらを観察していて、繭から糸を取るようにして言葉に紡ぐ(もう少し平易な言葉にならなかったものかとは思うけど)。
 その深く静かな観察から、キルケゴールはこうも言う。「まことに驚嘆は幸福な自己喪失であり、嫉視は不幸な自己主張である。」と。
まさにその通りだ。
“持てる者(権力でも、財産でも、人徳でも、愛でも、才能でも)”を前にしたとき、それを妬む人は不幸で、驚嘆する人は幸福だ。
 だからこそ、「絶望は罪だ」という彼の言葉は恐い。限りなくキリスト教的な発想だけれど、絶望することからすべてが始まるのかもしれないと思っている私は、起き上がりかけたところをまた突き倒されたような気持ちになるのだ。

 絶望は罪か?

 この世の中、すごく前向きで希望に燃えてる人の方がよほど胡散臭いと私は思う。何かの漫画で、子供のアトピーについて「平気で生活している私たちのほうが異常で、本当はその子たちの方が正常な反応をしているのかもしれない」というような台詞があった。だから我々は、適度に病んでいていいのではないかと思う。
もちろん、死にたくなるほど追い詰められる前に、人はそこから逃げ出さなければならないのだけど。
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