la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
猫たちの跳躍は・・・
「島のネコたちは、そんなヒトの暮らしにつかず離れず、それぞれのテリトリーで、ネコの気持のままに自由に歩き回っている。」
(『地中海の猫』岩合光昭)


数日前、「写真集」と名のつく本を初めて買った。

元来、ヒトを「癒す」ことを目的として撮られた軽薄な動物写真の類いは嫌いなたちだ。大半の哺乳類が何故これほど「ヒトから見て可愛らしく」進化したのかはさておいて(特にパンダ。クマであるところの君たちにそんな愛らしい模様が必要なのか?)、イヌやネコはヒトを癒すために生きているわけじゃないし、彼らの写真に「風が気持ちいいワン♪」だの「おなかがすいたニャ~☆」だのと馬鹿げたキャプションがくっついているのを見ると、脳味噌が膿みそうになる。

もとい。
この『地中海の猫』は、そういう写真集では全然ない。
岩合光昭は、おくづけによると「地球のほとんどの地域を取材し、野生動物を中心として大自然を撮り続け」ている写真家だ(『ナショナル・ジオグラフィック』の表紙を飾ったりもしているらしい)。そのカメラが切り取っているのは、愛玩動物=ぬいぐるみとしての猫ではなく、「けもの」としてのネコだ。視点は飽くまでも低く、カメラがネコたちを見下ろすことはほとんどない。大抵ネコたちの視線と同じか、むしろそれより低いくらいだ。

ギリシアで、スペインで、トルコで、エジプトで。ネコたちは歩き、眠り、遊び、何かを見つめ、そして跳躍する(鮮やかに)。ヒトに飼われているネコも、そうでないネコも、しなやかで、凛として、強く、したたかだ。

ギリシアの小さな島で、白亜の建物の塀から塀へと跳ぶ二匹のネコ。カッパドキアの奇岩群を背景に、馬車を操る女性の民族衣装にしがみつくようにしている白黒の子ネコ。ラバト(モロッコ)の路地で、早朝の日差しを背にして尻尾をもたげる砂色のネコ。ヴェネツィアの煙草屋で、束ねられた新聞の上にアゴを乗せている雉虎のネコでさえ、はっきりと獣の顔をしている。

そんな写真集を眺めているうちに、私は不意にアン・モロウ・リンドバーグを思い出した。彼女は飛行機から地上を見下ろした人だけれど、彼女の持つ「世界への視線」が、この写真家と少し似ているからだろうか(それとも、写真に写っているネコたちと似ているのだろうか?)。

そう、ツバメの舞うこの季節に彼女の本を読むのは、きっと素晴らしいだろう。

そんなふうに、一冊の本から別の本へ、猫たちの跳躍をイメージしながら、私は跳んでみる。残念ながらあんなに身軽に、というわけにはいかないのだけど。
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