la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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Populism? No, it’s just a fuckin’ Egoism!
「彼等から、愛と憎しみと、快楽と苦痛と、希望と危惧とを取り去って見よ、彼等はもはやなに一つ感じないであろう。」
(アヴェ・プレヴォ/『マノン・レスコー』)


不安はあったし、不吉な予感のようなものすらあった。

アメリカ大統領選の話だ。

や、タイトルの英語は、正しいかどうか自信ありませんが(特に「a」)。

まさか、幾ら何でも、そうはならないだろうと思っていた。
アメリカ国民ってそこまで馬鹿なのか、と思った。
何だよその上から目線。
でも、考えてみれば、日本国民だってここまで馬鹿だ、と思った。
これは前回の国政選挙の話。
何だよその上から目線。

ていうか「国民」っていったい誰なんだ。
「国民」って、それはもちろん「私たち」のことだろう。
なら「私たち」が馬鹿なのか。
「私たち」がそれを選んだのか。
いや、少なくとも、「私たち」は(ちょっとは馬鹿かもしれないけど)選んでない。

ということは、この「私たち」と、その「私たち」は違うのだ。
そして、その「私たち」のほうが、この「私たち」より多数派なのだ。

トランプ支持者の多さを目の当たりにして、現実に排斥される側にいる人たちが感じている恐怖を思うと、息が詰まる。排斥されない側の人の中にも、不安や恐怖、理性的な憂慮や危惧を感じている人は多い。所詮アメリカの話だし他人事じゃないか、と言われるかもしれないけれど、実はぜんぜん他人事ではないし、そもそも私はまったく知らない誰かの身に起こるあらゆる悲喜劇を他人事として捉えられない(たぶん特異な)体質なので、自己の利益を確保するために他者を徹底して踏みつけることの、「ざらっ」としてなおかつ「ぬめっ」とした、残酷な利己主義の気配に総毛立ってしまう。

選挙結果を見たあと、小一時間、現実逃避していた。
ドイツの音楽フェスの、ザ・ストライプスのステージを、you tube で観ていた。
これは本題とはまったく関係なくて、思いがけなく共通する主題が見つかったりはしないので、読み飛ばしてもらって全然いい。です。
オリジナル(とされている、というのも私はストライプスのオリジナル楽曲にあまり一貫性を見いだせないので、ある程度ゴーストライターがいるんじゃないかと勝手に勘ぐっている)曲はほとんどテンポが速すぎて、ロス歌うの大変そうだなあ、と思ったり、みんな成長して衣装が各自の好みにバラバラになってきたな、とか、前はエヴァンの顔(とふわふわエンジェルヘア)がいちばん好きだったけど最近ピートが雰囲気いいな(ぽっちゃりおっとりなイメージだったけど何気に演奏いちばん巧いし)、とか、ジョシュ調子に乗り過ぎて浮いてなきゃいいけど、とか、まあでも全体的にずいぶん楽曲の解釈に遊びというか余裕が出て来て、ライヴパフォーマンスがこなれて俄然カッコよくなってるな、とか、あれこれ思いながら観ていて、それでもやっぱり、意識は現実に引き戻される。

現実に戻って。
ポピュリズムの台頭が取りざたされていて、私もそれを否定する気はない。
でも、ここまで来ると、それはもう「ポピュリズム」とさえ呼べないのじゃないか、と思う。
これじゃもう、はっきり、身も蓋もなく「エゴイズム」だろう、と。

選挙結果を知らせるインターネット上のニュースで、トランプ勝利の報に悲嘆のあまり泣き崩れる女性の画像を見た。今回の選挙が、どれだけ感情論で動いていたかがよく解る(私の印象では一方的にトランプ陣営が煽ったものだ)。けれど私には、自国の大統領選の結果に涙する彼女の「感情」を、冷めた目で見ることはできない。

私とて、あまりにも狭量な「大国」の判断を目の当たりにして、最初は絶望しか感じなかったのだ。
日本の現政権とかち合ってしまったことが、またその絶望に追い打ちをかける。
在日米軍撤退(沖縄から基地がなくなるのは喜ばしいのだけれど)、となると、日本は再軍備、核武装、といった「刃物を振りかざして互いを威嚇し合う」外交に喜び勇んで邁進する、と、悲観的な私は思う。

いっそ、刃物を捨て両手を上げて「私は無力です。こんな私を攻撃したら、国際社会があなたを人でなしと罵るのは確実ですよ」と、人間の良心に訴えることはできないのか、と、「抑止力」という事実上の「脅し」に対して私は常々思っていたのだけれど、今そんなことを言っても「戦いもせず腹を見せて降伏するのか」なんて責められそうだ。

そろそろ現実逃避に戻ろう。
何だか、耐え難くなってきた。

明日がどんな一日になるのかはまださっぱり解らないけれど、せめて私は理性的に落ち込み、理性的に悲しみ、理性的に泣き、理性的に怒ろう。
私がそんなふうに落ち込み、悲しみ、泣き、怒っている理由は、大多数の「私たち」には理解されないだろうし、大多数の「私たち」は大多数であるだけで無条件に力を持つものだから、自分がそれに抗わなければならない場面に直面したとき、今の私にその力があるかどうかは覚束ない。
でも、どう転んでも、そうなったらやってみるしかない、と思う。

どこまでも陳腐なことに、私の願いはひとつだけなのだ。
地には平和を、人には愛を。
梨木香歩の『僕は、そして僕たちはどう生きるか』を再読した直後だけに、ことさら。
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