la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
テイクオフとタッチダウンの距離と乖離
人間愛とは要するに、かなり冷淡な一般的好意をあらわす、やや美しい言葉にすぎない。」
(『眠られぬ夜のために』/カール・ヒルティ)


※タイトルと引用と本文はたぶん、それぞれ私の脳内でしか結びついていません。

休日まるごと遊ぶ。
とても久しぶりに。
しかもアウトドア。
もちろんカヤック。

朝六時に起きようとして失敗、七時すぎにぼんやり起き出して、「ああもうずっとごろごろしてたい」「今日は図書館だけ行って部屋で読書三昧にしようかしらん」という悪魔の誘惑をどうにか振り払う。今年三月に一度だけカヤックを出して以来、その誘惑に負けた回数は十回やそこらじゃ利かない。
基本的に、というよりは根本的に、私はインドア人間なのだ。
ともかく今日、空は秋晴れ。部屋から愛艇アリュート(一応フォリ・ポルタンファンという名前をつけてあるのだけどアリュートとしか呼んだことがない)を外に担ぎ出して、愛車アルトワークスのトランクに積み込む。青空と暖かい日差しに、ようやく自分のエンジンが始動するのを感じる。

太陽の力ってすごいんですよね、と、それまで歩いていた山道から日向に出たとたん、太陽に向かって深呼吸していた人のことを思い出す。そのとき私は「おひさま~」と歓声を上げて幼児よろしく両手を広げていて、日光を肺に吸い込むというその「手段」というか「方法」というか「味わいかた」に何だか深く感じ入って、真似をして深呼吸してみたのを覚えている(ちなみにこの人は私が去年参加した「シャワークライミング」のガイドさんだ。高島の八淵の滝を、ウェットスーツを着込んでヘルメットかぶって、ロープを使って遡るいわゆる「沢登り」。軽薄に横文字で書くならマーヴェラスな体験だった。あの時のことをブログに何も書かなかったのは、その体験が何をどう言葉に移せば良いのか解らないほど「マーヴェラス」で「フル」なものだったからだ。たぶん。記憶を言葉にとどめる作業は大好きだし、あの時もぜひそうしておきたいという気持ちはあったのだけれど、どうしてもできなかった)。

もとい。
八時過ぎにつつがなく(?)出発、車で走ること一時間半。琵琶湖畔の道の駅に駐車して、愛艇アリュートを担ぎ出す。背負おうとして派手によろめいて、通りすがりの人に「大丈夫ですか?」と心配される。「今から出さはるんですか?」「あ、はい」「それやったらもっと向こうのほうに車止めはったら・・・」「あ、すぐそこから出せるんです」「あ、そうなんですか」というやりとりをして(今思えばカヤック経験のある方だったみたい)、「気をつけて」の一言(実はこれが私の、「人から言われていちばん嬉しい言葉」だ。そういえば出がけに家人も言ってくれた!)に見送られて、一人カヤック恒例の「よろばい歩き」で水際へ(ほんの十メートルくらい)。

久々(半年ぶり!)の組み立てで手順を間違えまくる。
丁寧に、センターを意識して(あ、AKBの話じゃないです)じっくり組んでいたのに、序盤ではめ込んでおかなきゃならないパイプを放置していたことに気づいて、バラしてやり直し。キールパイプをまっすぐ船体布に合わせて、わお、うまく行った!と思ったら、やっぱりスターンデッキがちゃんと閉まらない(毎回これ)。汗だくになりながら力技で何とかごまかす(毎回これ)。どうもテンションがうまくかかってない感じ(毎回これ)。

ほんとに、嫌というほど「毎回これ」なんです。
でも、もうひとつ「毎回これ」なのは、それだけ苦労してドジ踏んで流血して(あ、流血も「毎回これ」だった)不可解な気持ちになって、ああ私なんでこんなしんどいことやってるんだろ、と思っても、湖面に引っぱっていって不格好に乗り込んでパドルでぐい、と砂底を突いてフネを押し出した瞬間。

これ。
これだよ。
これやねん。
これなんです。

つまり、まあ、それなんです。
「解放感」と言ってしまえばそれまでかもしれない。ふだん地面のうえを二足歩行して暮らしている私は(まあ皆だいたいそうなんだけど)、特に今日は豪雨のあとで琵琶湖はうっとりするくらい豊かな水を湛えていて、そういうたっぷりとした「湖」に浮かぶ(カヤックは自分と水面の距離がものすごく近いので、浮かぶというよりは「浸かる」感覚かもしれない)という体験を、たぶん実際以上に、たぶん過剰なくらいに愛してしまう。

ファルトボートって、アルミパイプで組んだ骨組みに防水のごつい布を被せただけの構造なので、水に浮かべると下から水が押し返してくるのだ。
骨と骨の間が、水に押されてぷわんと膨らむ。
漕ぎながら、靴も靴下も脱いだ素足で、そのひんやりした圧力を楽しむ。
今日はじめて気づいたのだけど、たぶんウォーターベッドってこんな感じ。

全力で漕いだりパドルを置いて波に揺られたり、葦原に入ってみたり木陰で微睡んだり。
半年ぶりのカヤック、楽しかった。

ちなみに、琵琶湖が青く見えるのは遠くから見たときだけで、近くだと緑に見えます。その緑は樹々の緑とはまた違った色合いの緑で、私はどちらの緑も大好きです。
樹々の緑は鮮やかで、湖の緑は深い。

追記、一応、冒頭の引用について。
カール・ヒルティの『眠られぬ夜のために』。365日楽しめるように、365日ぶんのありがたいお説教が詰まった本。夜寝る前のひとときにその日の章を読むことができるように、365日ぶんの日付つきのパラグラフで満たされた御本だ。真面目に読んだことはないのだけど、信じてもいない星占いを律儀に読むのと同じ好奇心から、今日(9月11日)のパラグラフを見てみた。
引用はその一節。「いわゆる人間愛は、すべて神に対する強い愛という根底がなければ、単なる幻想であり、自己欺瞞にすぎない」という、パスカル風の一徹な信仰心に貫かれた宣言に続く文章だ。こういう文章に向き合うときに、私は「神という単語が入っている文章はなるべく読み飛ばし、人間という単語が入っている文章はじっくり読む」という姿勢を取ることにしている。パスカルやヒルティに対しては不誠実かもしれないけど、そういう風に読むほうがずっと面白いのは確かだ。

そういう風に読んでみて、馬鹿にする気持ちは微塵もないのだけど笑ってしまった。あまりにも「信仰ありき」で、それ以外のことについての物言いがもう、身も蓋もない。引用した一文もそうだけど、ヒルティは人間愛について、さらにこんな風に言い切るのだ。
「それは本来、猛獣ですら満腹すればその周囲に対して示すくらいの非攻撃的な態度のことである」。
・・・そりゃあんまりだ。
と思うけど、1900年代初頭のヨーロッパの知識人が「人間愛」を「神への愛」と比較したらそうなっちゃうのらしい。フレシネのコルドン・ネグロをクリュッグと比べちゃうようなものか。フレシネだってちゃんと美味しいのにね。
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