la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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悪夢は悪夢のままに、黙祷
「人形の如くに抱かるる原爆忌」
(谷崎潼子)


急な坂道の多い、ひどく入り組んだ石畳の路地。
そんな中にごちゃごちゃと家が建っている町並みの中で、私がいるのは、小さな教会堂だ。
とりたてて厳粛なわけでもないささやかな礼拝の途中。
教会堂の窓からは、すぐ隣に立つ大きな講堂のガラス張りのファサードが見える(何故だかニューヨークのクライスラービルにそっくり)。
牧師の説教の途中、不意に、窓越しにそのビルが爆発、炎上するのが見える。
ああ、皆あの中にいるのに。
たぶん両親も、友達も。
教会堂の中にいる人たちは、頭を下げているので気づかない。
牧師は窓を背にしているので気づかない。
その時、私は思ったのだ。
どうせこの町はもう駄目だ。ここにいる人も、私も、町じゅう誰一人として助からない。
だから、誰も気づきませんように。
せめて、誰も気づかないまますべてが終わってくれますように。

そんな夢だった。

翌朝起きたときにはその夢はもう思い出せなくなっていて、私は仕事をしている間じゅうずっと、思い出そうとしていた。
その夢の原因が何だったのかが解ったのは、ようやく夕方になってからだ。
不意に、階段を踏み外すような軽いショックと共に、ああ、と思った。
あの町は、長崎だ、と。

八月は、一年でいちばん嫌いな月だ。
嫌でも戦争のことを「思い出す」。
実際に体験したわけでもないのに、それでもやっぱり「思い出す」のだ。
原爆はもちろん、飢えや空襲を経験したこともない。長崎の町にしても、中学校の修学旅行でちょっと行っただけで、実際の町並みなんか何も知らない。
それでも、私はやっぱり「思い出す」のだ。

原爆投下前日の長崎を描いた、井上光晴の『明日』という小説があるそうだ。
明日、という、普通ならば希望と可能性に満ちているはずの言葉が、底なしに恐ろしく絶望的に響く。
怖くて読めない。

忘れないこと、語り継ぐこと。
とにかく、それはとても重要で、必要だ。
絶対に、二度と、戦争をしてはいけない。

たぶん、私の悪夢はそのためにあるのだろう。
脆弱な精神のゆえに「戦争教育がトラウマになった」なんて、生爪剥がされても言っちゃいけない。
というか、トラウマになるくらいで丁度いいんだ、と思う。
むしろこの季節、何喰わぬ顔をして過ごしている人を見るほうが、どことなく空恐ろしいような気持ちになるのだから。
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