la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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ただ本を読みたいだけなんだ
「『人間』の定義とは『料理のできる動物』に他ならない」
(サミュエル・ジョンソン/ジェレミー・マクランシー『世界を食いつくす』より孫引き)


どくしょきろくです。
更新前にいろいろ前置きを書いてみたけど、まとまらなかったので潔く割愛。
そう、私はただ、本を読みたいだけなんだ。

『世界を食いつくす』(ジェレミー・マクランシー、65点)
原題は『why you eat what you eat』(なぜ食べるか、なにを食べるか)で、邦題から想像したような「世界各国食べ歩き紀行」では全然なかった。食からみる文化人類学、といった趣きで、取材・文献・文章そのもの、どれをとってもルポルタージュというより「論文」だった。それなりに興味深く読了したけれど、真面目すぎてやや退屈だった。ただ大きな収穫だったのは、「人間とその他の動物はどう違うか」という問いに対して(人によって何通りもの答えがあると思うけれど)、この本を読んで初めて何の留保もなく同意できる解答に出会えたことだ。

『雪の練習生』(多和田葉子、75点)
白クマの自伝、という実に不思議な読み物。それも、かのアイドル熊クヌートとその母、祖母、という三代にわたる白クマたちの。白クマと人間を隔てる空気、というより、「個」と「不特定多数」との関係を、白クマの視点を借りて語っているように思える。シロクマはハワイで生きる必要はない、というような一節を、私はたしか梨木香歩の本で読んだのだけれど、多和田葉子はたぶん、シロクマがハワイでどう生きたかを描いたのだ。
前者は「優しさ」であり、後者は「強さ」。
意外にも、シロクマたちは賢く丁寧に、超然と、そして見事に、生きていた。

『めぐらし屋』(堀江敏幸、65点)
いつもながら思慮深く綴られた文章が心地よい。でも少し読み心地が軽すぎて、「ちょっといい話」という手応えしかなかったのが残念。タイトルに期待を抱きすぎて肩すかしをくった感じ。でも、文章は心地よい。うーん。文章は心地よい、でも。私には『河岸某日抄』の手触りが忘れがたくて、「小説のような随筆」あるいは「随筆のような小説」を期待している。構成やストーリーテリングで魅せるのではなく、緩やかな思索の流れに読み手を呑み込む感じの。だから、設定や構成が先に来るより、この人には、思うままを丁寧に綴っていって欲しいと思う。

『人喰い鬼のお愉しみ』(ダニエル・ペナック、70点)
少し前に二作目から読み始めた傑作コミック・ミステリの、これが第一作。デパートの苦情処理係(上司にこっぴどく怒られ泣いてみせることでお客の同情を買う「職業的スケープ・ゴート」)のバンジャマン・マロセーヌの受難の日々の物語だ。母親が恋人をつくっては赤ん坊を産み、その赤ん坊を押しつけてはまた別の恋人と出て行くせいで、バンジャマンの家には歳の離れた弟妹がどっさりいる。おまけに飼い犬は癲癇もちで「パリでいちばん臭い犬」。職場では連続爆破事件が起こり、彼の傍でばかり人死にが出る。警察には容疑者扱いされ、いけ好かない同僚にポストを奪われ…という散々な日々だけれど、バンジャマンの周囲は常に笑いと愛情に満ちている。ペナックの描く人物たちは、理不尽な現実と闘うのにユーモアと知性、飄々としたしたたかさを武器にするのがとても良い。現実が理不尽であればあるほどその武器の有用性が際立つのだから、なるほど、バンジャマンの受難は終わらないわけだ。

『ビッグ・レッド・テキーラ』(リック・リオーダン、45点)
十代の頃に保安官の父を何者かに殺され、恋人も家族も捨てて故郷を出た主人公が、十年ぶりに戻って来て真犯人を突き止めようとするが…。というストーリーで、「ちょっと癖のある登場人物たちが魅力的」とか「知性とユーモアにあふれた」とかいう感じなのだろうけど、その登場人物たちもどこかしら紋切り型の風変わりさで、ペナックの描く「愛すべき奇人変人」に比べたらずっと陳腐だ。さりげないジョークや古典文学への言及なんかもどこかしら教科書的でわざとらしい。事件の真相も「いかにもありそう」でがっかり。基本的に私はミステリが読めない人間なので、読了するのにひどく苦労した。私がペナックを好きなのは、事件の真相とか謎解きとかいう「ミステリの必須要素」とはまったく無縁な理由なのだ。

『四枚の羽根』(A.E.W.メイスン、55点)
もうちょっとピカレスクロマン的なものを期待していたら、存外に地味だった。つまらないわけではないのだけど、かなり物足りない感じ。

『月と六ペンス』(サマセット・モーム、70点)
ずっと、アンデルセンっぽい童話か寓話だと思い込んでいた(ゴーギャンの生涯にヒントを得て書かれたということさえ知らなかった)。ゴーギャンの絵は好きではないのでその生涯にも特に興味はないけれど、この作品の主人公たる画家ストリックランドの傍若無人さがものすごくて、「酷い、酷すぎる」と呟きながらあっという間に読んでしまった。
ストリックランドの生涯はこんな風だ。①絵を描きたくなったので妻を捨てた。②献身的な友人ストルーヴの妻を何となく寝取った。③献身的な友人ストルーヴの住まいを占拠し彼を追い出した。④献身的な友人ストルーヴの妻を何となく捨てて自殺に追いやった。⑤南の島に行って現地の娘を孕ませ結婚した。⑥病気で死んだ。
うーん、これは酷い。
ストリックランドの画家としての天才に心服するあまり、家庭をめちゃめちゃにされてもなお彼を助けようとする「献身的な友人」ストルーヴのキャラクターが鮮烈(ブランシュもそうとう鮮烈だったけど)。この人物造形とストーリー展開、ちょっとドストエフスキー風かも。何にせよ古典的名作って、やっぱり、古典的名作になるだけのことはある。

『アンジェロの朝』(ルキノ・ヴィスコンティ、点数なし)
小説、なのだけど、視覚情報が圧倒的に多く、時折、効果音のように聴覚情報が書き込まれる、いかにも映画人らしい小説。風景の描写がとても美しかったけれど、物語のほうはあまり頭に入ってこなかった。映画を観るほうがずっといい。でももともと未完の遺稿なので、採点は差し控えてみた。

『残念な日々』(ディミトリ・フルフェルスト、80点)
どこまでも下品で貧しく不潔で誇り高い「残念な」大酒飲みたちに囲まれて育つ、多感な少年の物語。食事は生のミンチ(しかも手づかみ)、父親はトイレのドアを常に開けっ放しで用を足し、叔父たちはしょっちゅう泥酔しては警官にドブから拾い上げられる(ビール飲み大会で優勝した誇り高き叔父や、「真の酒飲みはビールだけを飲むものではない」とツール・ド・フランスなる酒飲み大会を自ら企画し優勝した別の誇り高き叔父)。突如として断酒を決意した父は矯正施設に入るべく叔父の車で出発するが、これまた何とも「残念な」結末を迎える。
そして、恐るべきことに、誰ひとり悪びれない。
どこまでも残念な日々なのに、どこまでも陽気で可笑しい。たぶん「残念」という言葉に含まれる愛情めいた笑いが効いているのだろう。主人公の少年時代の微妙な自意識の揺らぎがまた、絶妙(都会へ出た叔母がピカピカの車で帰郷すると、そんな立派な車が自分の家の前に止まっているのを恥ずかしく思う。そのくせ、叔母が連れてきた従妹に対しては、自分の身内の貧しさや下品さを恥ずかしく思うのだ)。
久々に没頭し、一晩で読み切った。
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