la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
我が魂の伴侶
引き離されることの理不尽さとか。
離れて初めて気づく愛しさとか。
失くして初めて気づく大切さとか。

いや、決して「引き離された」わけじゃなく、「失くした」わけでもなく、もちろん「理不尽」であるわけもないんです。
それら諸事情は、重々承知してるんです。
だって単に愛車を車検に出して、それがお盆休みと重なったせいで数日のあいだ代車に乗らなきゃならなかっただけなので。

でも、久々に(たった数日でも私はそう感じる)再会した愛車は、いつも常にそうなんだけどちょっと心細そうな顔をしていて(もともとヘッドライトが「涙目」と呼ばれてるモデルなのだ)、キュンとしてしまう。
運転席に座ってみると、シートの心地よさとステアリングの小ささにあらためて驚く(ステアリングは、前の持ち主がカスタマイズしてて、本当に小さい)。

エンジンをかけ、ゆっくりとアクセルを踏んでみる。ハンドルを切る。ブレーキを踏む。
ああ、このリアクションだよ。そうなんだよ。

私のしたいことを解ってくれる。
言葉がなくても。
でもそれはきっと、私にも愛車アルトワークスのことが解っているからなんだろう。
このくらい切ったら、このくらい曲がる。
このくらい踏んだら、このくらい動く/止まる。
機械と人間を同一視するわけじゃないけど、人間対機械、という関係において、ただ使う側/使われる側、という図式は成り立たないのじゃないかと思う。
コンピュータについても同じで、使う側が相手をちゃんと理解していなければ、機械は(というのも彼ら?彼女ら?は極めて素直なので)、人間の望む結果をもたらさない。

でも、私は思うのだ。
人間を相手に試みるより、車に対して試みるほうが、はるかに成功率が高いと。
たぶんこういうことなのだろう、車は私に対して善意を持たない、その代わりに悪意も持たない。
人は私に対して善意を持ちうる、その代わりに悪意も持ちうる。
うーん、微妙な議論になりそうな気配だけれど、もしかすると、私は他人から敵意を抱かれやすい人間なのだろうか。
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