la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
ブルグミュラーについての悲喜こもごも
ブルグミュラーというのは、もちろん、ピアノを習う子どもたちが小学校くらいで出会う作曲家だ。ヤマハがピアノ教則本として採用している『25の練習曲』は、それぞれに抒情的で曲風をイメージしやすいタイトルがつけられ、実に表情豊かで、難易度は低いものの基本的なテクニックがひと通り盛り込まれた、非常に充実した曲集だ。

私はいわゆる「ピアノ挫折組」だ。子どもの頃は近所にあったピアノ教室に通っていたのだけれど、ピアノを弾くのは全然、好きじゃなかった。しかも「弾けるようになる前の練習を聴かれるのが嫌だから」という、今から思うと「何じゃそりゃ」としか言いようのない理由で練習を一切せず、週一度のレッスンに毎回「初見」で挑んでいた。
『ソナチネ』の途中でさすがに初見では追いつかなくなり、ピアノが苦痛でしかないことを大っぴらに認めてすっぱりやめてしまったのだけれど。

大学時代に、講義の終わった後の教室で、友人がそこにあったピアノを何気なく弾くのを聴いて(ショパンの『幻想即興曲』だった)、「ピアノを弾く」というのは本当はもっとずっと楽しく、豊かで、自由で、満ち足りたものなんだなと思った(その時にそのままそう感じたかどうかは解らないけれど、いま私の記憶の中ではそういうことになっている)。
以来、調律もせず放置されている実家のアップライトピアノを、ちょくちょく弾いていた時期がある。もちろん『ソナチネ』で挫折したクチなので、ろくに弾けはしない。古いバイエルの練習曲をジャズ風に弾いてみたり、『エリーゼのために』を無駄にポップに弾いてみたり、あとは弾けないけど好きな曲(『展覧会の絵』のプロムナードとか、シューマンの『子供の情景』とか、モーツァルトのピアノソナタとか)を、同じ小節をひたすら練習しながら弾いたりしていた。

ピアノは、実は、ちゃんと弾けなくてもそれなりに楽しい。
鍵盤を押さえれば、音は鳴るから。
ペダルを踏みながら単純なアルペジオを鳴らすだけで、うっとりできる。
でも自分がピアノを「習っていた」時は、そんなことには全然、気がつかなかったんだ。

大学時代にピアノを「再発見」した頃、いちばん楽しんで弾いたのはブルグミュラーの『25の練習曲』だった。子ども向けの簡単な練習曲集。それでも、『牧歌』とか『清い流れ』、『さよなら』、『なぐさめ』『小さな嘆き』『アベ・マリア』『天使の声』『貴婦人の乗馬』等々、思いきり情感を込めて弾けばそれぞれに魅力的な楽曲が満載だった(何より簡単なのがいい)。

子どもの頃、ピアノの音がどんなに綺麗なものか、それを自分の指で鳴らすことがただそれだけで歓びになり得るのだということを知っていれば、もう少し続けられたのかな、と思う。

ピアノについては、ほんとに、練習しなかった悔いとかレッスンが憂鬱だったこととか、発表会で『ライオンの行進曲』とか『インディアンの踊り』とかいう曲ばかり弾かされたとか、恨みがましい記憶が満載なのだけど(今ならその選曲をむしろ歓迎したのに。でもピアノの発表会って、なんかベロア地のワンピース着せられたりしてたから、確かにそんな格好でライオンやら何やらを表現するのってちぐはぐだよね。一色まことの漫画『ピアノの森』で、髪シニヨン&ワンピースだった我儘お嬢様が髪を下ろして白シャツ&ネクタイでコンクールに挑む姿、あれは個人的にすごくツボだったなぁ)。

とにかく、何とはなしに、ピアノを弾きたいなあと思う今日この頃。
その欲求が微妙に、「カラオケ行きたいなあ」に変換されてしまう、今日この頃の脳内。
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