la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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take me home, country road
Country road take me home, to the place I belong...
(『カントリー・ロード』/ジョン・デンバーの歌)


聴くたびに何とはなしに涙の滲む歌というのが、何曲かある。
悲しくて泣くわけじゃなく、淋しさでも憤りでもなく、かと言って歓喜の涙でもない。

たとえば幼い子どもが親とはぐれた場合、不安と緊張に押しつぶされそうになりながら闇雲に親の姿を探し求めている間は、まず泣かない。
子どもが泣くのは無事に親と再会した、まさにその瞬間なのだ。

ちなみに、私が泣く理由はたいてい次のうちのどれかだ。頻度の高い順に挙げるとこうなる。
① 怒りと悔しさ
② 気分転換
③ 安堵
④ 絶望

たちが悪いのは④くらいなものなので、私は私の涙をそれほど重要視していない。基本的に泣き虫なので、たぶん他の人に比べるとかなり日常的に泣いているせいもあるだろう(むしろ私が泣くことで必要以上に周囲を動揺させてしまうと申し訳なくなる)。

結婚式の定番になっている讃美歌「いつくしみふかき」もそうなのだけど、この「カントリー・ロード」も、聴くたびに何故かじんわり泣けてくる歌だ。
いったいどこで泣くのか?
それは、「the place I belong」つまり「自分が属する場所」という一節。
いささか思春期の青少年じみていて気恥ずかしいのだけれど、私には、「自分が生まれ育った場所」を「=ホーム」とか「=自分が属する場所」とする認識がない。子ども時代を過ごした土地が嫌いだとか、自分の家族と折り合いがつかないとか、そういうことは全然ないのだけれど、自分が属する場所というのがいったい何処なのか、いい歳をして今までずっと解らずに来た。

でも最近、唐突に、それが解ってしまった。
土と草の匂い。
樹木の匂い。
川辺の砂の匂い。
それは、私自身の幼少期の原風景とは、厳密にはつながらない。
それでも最近、私は自分がそこにこそ属しているのだと、強く感じる。

生まれ変わりとかのスピリチュアルな話題に抵抗があるんでなきゃ、私は間違いなく、自分の前世は沢蟹かなんかだったと確信していただろう(その昔、コックリさんは私の前世を「土鳩」だと断言したけれど)。でも前世や来世をこれっぽっちも信じていない私は、もう少し理性的に理屈っぽく、こう言おうと思う。「自分の属する場所って、そんな限定された土地とか家族とかじゃなくて、今あるこの『宇宙』だよね」と。
あらら、何だか余計にスピリチュアルっぽくなっちゃうな。

土と草の匂いを感じるとき、
樹木や川辺の匂いを感じるとき、
私は間違いなく、「the place I belong」=「私が属する場所」をそこに見出している。

自家焙煎のコーヒーの香りも、もちろん完全無欠の幸福ではある。
けれど、どんな上質なコーヒーも、土と草の匂いには勝てない。

京都南の某キャンプサイトで、深夜まで騒いでる人がいたり怖くて一人でトイレコーナーに行けなかったりしても、身体の下に地球を、頭上には宇宙を、五感でめいっぱい感じながら過ごす夜は幸せだった。

人間は、もちろん辛くて泣くことのほうが多いけど、幸せで泣くこともある。
何より安堵の涙こそが、世のすべての涙の中で最も祝福されるべき、稀有な美しさを持った涙だと私は思う。
ありふれてはいるけれど、なおかつ稀有な涙。

Belong、所属することについての困難な議論はさておいて、いや、さておかず、つまり私は「自分が所属することを、この宇宙/自然に対してだけ許す」のだ。
ああまた厄介な話になってしまう。
今日のところは、それはさておいて、稀有な幸福の記憶をひとつ重ねて、そろそろ眠ろう。

可能ならば世のすべての人に、不可能ならば一人でも多くの人に、安堵の涙と平和な夜を願いつつ。
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