la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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メアリ・マグダレンの眠れぬ夜
「父は永遠に悲壮である。」
(萩原朔太郎/中野京子『名画の謎』から孫引き)



そうかなあ。
イエスの誕生とは無関係なはずなのに、ダビデ王の末裔だってことになってるヨゼフは、ずいぶん役得だと思うんだけど。

とりあえず、どくしょきろくです(冊数は伸びないけど平均点は伸びてる気がする)。


『真夜中に海がやってきた』(スティーブ・エリクソン、85点)
以前の「どくしょきろく」で身の程知らずに酷評してしまったスティーブ・エリクソン(何でまた手を出したかというと、タイトルに惹かれたのと、別の作品を島田雅彦が翻訳してたり、無視できないくらい世評が高かったりしたので)。
映画をずっと逆回しで見ているような、何ともまあ目眩のする体験だった。何本もの切れた糸の端からそれぞれの行方を手繰り始め、気がついたらその糸はすべて運命の綾とでも言うべきタペストリに織り込まれていた、というような。
巧妙に配置された人物、座標、エピソード、そして空間(あのペントハウスの使い方がとにかく凄い!)。たぶんエリクソンの小説は、かなり心血注いで読まないといけないのだ。『Xのアーチ』を読んで私が困惑したのは、単に読み手としての努力不足だったのだ。ああ、『Xのアーチ』再読しなきゃ。あとトマス・ピンチョンにも失礼なことを書いた気がするので、ピンチョンにも再チャレンジしなきゃ。

『幻影の書』(ポール・オースター、75点)
オースターは、高校の頃『ムーン・パレス』に出会って以来ずっと読んでいる。いつ読んでも「うーん、オースターって好きじゃないんだよね」と思う。何か、こう、しっくり来ないのに、新刊が出たらつい読んでしまう。ほんと好きじゃないんだけど、不思議。
この『幻影の書』も、ある意味ではいつもの「オースター節」、無為のうちに生きている男が何かのきっかけで不条理な展開に巻き込まれてゆく、という展開だったのだけど、いつもより(良い意味で)感情がこもっていた気がする。これまでの、カフカ的な? 無機的な? そういうざらっとした手触りから、もう少し柔らかく情緒的な感触になってた。架空の映画を描写するくだりはスティーブン・ミルハウザーを思わせる緻密さで、これまで読んだオースター作品の中ではいちばん好き。

『ガミアニ』(アルフレッド・ド・ミュッセ、55点)
ブックデザインが可愛らしかったので図書館で借りた。そう言えばミュッセって、漠然と夢見る純情青年って印象を勝手に持ってるけど、読んだことないじゃん、と思って。
そしたら、ずいぶん破廉恥なポルノグラフィだったのでたまげた。
何でも当時のパリの青年クラブみたいなところで「皆で一篇ずつ官能小説を書いて持ち寄ろうではないか」という話になったのが発端で書かれたものらしくて、知らずに読んだらマルキ・ド・サドかと思うくらいだ。
何だかんだ最後までちゃんと読んだのだけど(笑)、うーん、胸焼けしました。でもこれがミュッセだと理解するのは間違ってるんだろう。

『ベトめし楽食大図鑑』(伊藤忍&福井隆也、70点)
近所のベトナム料理屋さん(サイゴンオリエンタル@京都薬科大前)がすごく美味しくて、ベトナム料理に興味が湧いてきたので。ベトナムの食の魅力が視覚的にストレートに伝わる、楽しい写真が満載の本。ハノイやホーチミンのグルメマップも充実していて、わあーベトナム行きたい、とテンションが上がるのだけど、ベトナムと聞くと頭の中で『ワルキューレの騎行』が鳴り響いたりする私としては(「ベトめし」という言葉も「ベトコン」みたいって思ってしまう)、現地に行っても純粋に楽しめないんだろうな。
レシピがぜんぜん載ってなくて残念。まあ、旅行会社の仕掛けた本みたいだったから、当然と言えば当然か。
あと大学時代に聞いた「ベトナムのヤモリは日本のヤモリより可愛い」という話を、ちょっと思い出した(日本のヤモリもそうとう可愛いと思うんだけど)。

『春の祭典』(アレホ・カルペンディエール、95点)
第二次世界大戦前後、スペイン市民戦争の勃発から第二次世界大戦を経て、キューバ革命が起きるまでを描いた大作。
冒頭の独白をひどく内省的な言葉で語り出すのは、ロシア人のバレエダンサー。「大黒鳥」と訳されているのはクラシック・バレエの金字塔『白鳥の湖』で黒鳥オディールが踊る見せ場、片足立ちで32回転するグラン・フェッテのこと(私が観た公演じゃリズムに合わせて手拍子が起きて、ほとんど曲芸扱いになってて辟易した)。バレエに興味がなければまずこの冒頭が理解不能なんじゃないかと思わせるほど、どこまでも「ダンサー」の視点で綴られる独白。
でも私は、何よりもそこから引き込まれた。引き込まれたんだけど、読みづらくて、冒頭の一ページだけを何度も読み返したりして、ペースに乗るまでに一週間かかった。
読み進めるうち、彼女がスペインへ向かう列車に乗っているのだと解る。そして、徐々にではあるけれど、彼女の旅の理由やその背景が明らかになってくる。
彼女が灯火管制下の夜の空襲を体験する場面、彼女=ベラの一人称で語られるこの夜の情景は、短いけれど圧巻だった。不意に知らない町の暗闇に取り残される不安と恐怖、空襲警報と敵機の襲来、そして爆撃。それが正しいことかどうかも解らずに恐慌を来してやみくもに駆け出した彼女は、一軒の建物の扉を押し開けて中に飛び込む。
オレンジ色の光、そして照明に照らされた舞台。その建物で空襲のさ中に上演されていたのは、ガルシア・ロルカの戯曲だった  。
もう、ここで感服した。何を描いた小説なのかは解った。どんな思想を描いた小説なのかも解った。今の自分が読むべき物語かどうかなんて、疑う必要はなくなった。
ストラヴィンスキーの『春の祭典』はかなり苦手な音楽だし、ベジャールの振付でのバレエも、かなり苦手だ。冒頭で狂喜した小説が結末に消化不良を起こすことがままあるのも知ってる。だけど、これは最後まですごかった。
アンナ・パブロワとの思い出、指の欠けたトランペット奏者、ジャズやキューバ音楽の昂揚、革命歌『インターナショナル』の響き。まったくの異文化を背景にした人と人とが出会い、互いの「無理解」を冷ややかな前提として、それでも共に生きること。
そこを貫くひとつのキーワードが、「革命」だった。
ネタバレというか何というか、訳者のあとがきがまた良かった。プルーストの『失われた時を求めて』を「マルセルはいろいろあったが、結局、作家になった」というのと同じ乱暴さで言うなら、とそこには書かれていた。幼い頃ロシア革命によって日常を奪われたベラは、最後には結局、「キューバ革命万歳」と叫んだ、と(いま手元に本がないので、うろ覚えでの記述ですが)。
ああ、ほんと、すごい物語だった。
ちなみに何だか最近、フィクションよりはノンフィクションに惹かれる傾向にあります。点数だけ見ても明らかだけど(ちなみにこの『春の祭典』はフィクションとして公開されてるけど、ノンフィクションの要素が強いのは著者も認めている通り)。

『中野京子と読み解く名画の謎~新約・旧約聖書篇』(80点)
あまたある諸芸術のうちで私の理解度がいちばん低いのが「美術」、つまり絵画や彫刻だ。それでも文学というのは古今東西の名画の知識まで読み手に要求してきたりしてこちらの好奇心&闘争心を駆り立てる。特に西洋文学では、聖書とギリシャ神話とシェイクスピアは「最低限の教養」として(図々しくも)要求されるし(「なんちゃってクリスチャン」の家庭に育った私は「オリーブの小枝」なんかはすぐにピンと来るからまだラッキーかもしれない)、美術の範疇でさえ宗教画なんかはほとんど必須項目なので困っていた。
この本について言えば、語り口があっけらかんと現代風なので軽く読み飛ばしてしまいそうなのだけど、広範な知識を的確にリンクさせて引き出せる当意即妙さとか、現代の倫理観とのギャップが甚だしい点に笑いを交えて突っ込む姿勢とかが素敵だった。カラー図版や細かい解説はもちろん、私自身ずっと疑問だった聖書の記述の矛盾とか、何故ユダヤ人が西欧社会でかくも憎まれ差別されることになったのかとか、「私」の目線ととても近いスタンスではっきり書かれていて、とても勉強になった。
この著者、『怖い絵』という表題で名画を読み解くシリーズをたくさん出してて、一冊目が当たったから次々出してるんだろうなと幾らか冷ややかな興味を持ってたのだけど、これを読んでみると意外に面白かったので、また他のも図書館で見かけたら借りようと思った。

今回はこの辺で。
他には、野菜づくりの本とか、DIYの本とかをちらほら読んでます。小説はあんまり読んでなくて、欲求不満な感じもします。でも今の自分が欲してるのはフィクションじゃないのかなあ? そう思いつつ、わけもなく外来魚ハンドブックとか鉱石図鑑とか眺めてたり。
我ながら、何だそりゃ、って思いつつ。
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