la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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昼下がりの惨事
「もし鏡に映らないんなら、ベラ・ルゴシはどうやって、あんなにかっちり髪をととのえていたんだと思う?」
(『大吸血時代』/デイヴィッド・ソズノウスキ)


ぶしゅ、という妙な音と共に、私の右半身とキッチンの壁と床とスリッパに生暖かい朱色の飛沫が飛び散った。
うわ、派手な返り血。
着てたのが白い服じゃなくて良かった。
血、もといトマトソースって、洗濯しても落ちないんだもの。
でも、何で?
何でプルトップを引いた瞬間に、トマト缶の中身が襲ってくる?

ちなみに、私は普段カットトマトではなくホールトマトを使うので、レシピに書いてある通り「手でつぶしながら」加えたりすると稀に、つぶしたとたん攻撃に晒される危険はある。とりあえず鍋に加えてから木べらやお玉でつぶす場合も同様。でもそういう不意打ちについては、ふたを開けた水煮缶の中にキッチンバサミを突っ込んであらかじめジョキジョキ「切る」べし、というケンタロウ氏の教義に従うことで回避できるはずだった。

多少の忌々しさに舌打ちしてから、とりあえず濡らしたキッチンタオルで壁紙を拭く。床を拭く。スリッパを拭く。
服を拭く。右頬と右肩と右腕を拭く。

ちょうどデイヴィッド・ソズノウスキの『大吸血時代』(85点)を読み終えた直後だったので、余計に「返り血」感があって、まあ、なかなか楽しいハプニングではあった。

↓ちょっと長くなるけど、『大吸血時代』とヴァンパイアについて。↓
最近出回っているヴァンパイアものは、「ヴァンパイアと普通の人間がどうにか平和に共存している」という設定がほとんどで、海外ドラマの『ヴァンパイア・ダイアリーズ』やら『トゥルー・ブラッド』やら、各方面で散々こき下ろされている(?)『トワイライト』シリーズもそんな感じだ(どれも継続して観てはいないのだけど)。昨今のヴァンパイアはあまりニンニクや十字架には過敏でなく、鏡にもちゃんと映る。穏健派は人間の首筋ではなく血液パックから血を啜るのが当たり前になっている。

こういう設定を初めて詳細に描いた天才が誰なのだかは知らないけど、私の記憶にある限りではたぶん、キム・ニューマンじゃないだろうかと思う(そんなにちゃんと検証してないので、詳しい方は異説あれば教えてください)。1990年代に上梓された大作『ドラキュラ紀元』シリーズ。実在の人物に混じって、小説・映画の登場人物たちが活躍(暗躍?)する、虚実ないまぜの壮大な歴史改変小説だ。

元祖ブラム・ストーカーのお馴染みの面々はもちろん、吸血鬼ものの小説・映画から多種多彩なヴァンパイアたちが顔を見せる。さらにはサマセット・モームのアシェンデンとか、(シャーロック・)ホームズの兄ライクロフトとか、映画『嘆きの天使』でマレーネ・ディートリヒが演じた歌手ローラ=ローラまで登場して、そういう端役の正体に気づくことができる、という読者側のお楽しみには事欠かない。もちろん一読して気づかなかった思いがけない人物たちについても、巻末の「登場人物事典」が事細かに解説してくれているので、そこだけでも時間を忘れて読みふけってしまうという困った本だ。
ああ、書いててまた読みたくなったけど、手元にあるのは二作目の『ドラキュラ戦記』だけ(私的には一作目がいちばん面白かった)。ちなみにこの二作目はドラキュラ支配下の英国を舞台にした第一次世界大戦の物語で、ドイツ空軍の“撃墜王”リヒトホーフェン(散々な書かれかただけど)とか、エドガー・ポオとか。いやいや、今はこの作品について書いてるわけじゃなかった。

『大吸血時代』のヴァンパイアたちも、基本的には血液パック派だ。
著者ソズノウスキの独創性は、そこに発揮されているわけじゃない。
この小説が独創的なのは、これがスタイリッシュで軽妙洒脱な「育児もの」の「ホームコメディ」である点だ。

時代はおおよそ現代だが、「毎分ひとりのヴァンパイアをつくろう」というモットーを掲げた「ヴァンパイア博愛教会」の熱心な活動によって、人間とヴァンパイアの数は逆転している(数少ない人間たちは、まあ、金持ちヴァンパイアの娯楽のために「人間牧場」で育てられている)。街で人工血液のパックが売られているのは今やありきたりな設定だけれど、ソズノウスキはそれを、主人公のヴァンパイアに「完璧な捕食者から完璧な消費者に転向した」と自嘲的に語らせる。

主人公は第二次大戦の動員中にヴァンパイアになったマーティ。見た目は二十歳すぎ、そこそこ男前でそこそこモテるらしいのだけど、中年の危機(?)を迎えてちょっとウツ気味。そんなマーティがある夜、人間牧場から逃げてきた五、六歳の少女を「拾って」しまう。

イスズ・トルーパー・キャシディ、という世にも奇妙な名(イスズは、もちろんいすゞ自動車のイスズ。トルーパーは「兵士」の意)を持つ少女は、自己紹介の途中、刃渡り三十センチのパン切り包丁でマーティの下腹を刺すという荒業をやってのける。

そんでまあ、そういう最悪の出会い方をしたにも関わらず、マーティはイスズを拾って世話をすることになり、とんでもなくて可愛すぎる女の子と新米パパのドタバタコメディが始まる…のだけど、イスズは「人間」だ。つまり、ヴァンパイアにとっては「ごちそう」だ。イスズを育てていることは「秘密」にしなければならない。トイレを流していいのは昼間だけ、とか、奇妙な約束事がたくさん出来ていく(ちなみにヴァンパイアはトイレを使わないから、マーティは部屋のトイレにサボテンを植えていたのだけど、イスズのためにそれを掘り出して、使えるようにしてやったのだ)。

ママと二人での逃亡生活。ヴァンパイアに殺されたママ。マーティは「ママは無事に逃げた」と言うけれど、それは嘘。

マーティは、イスズを殺そうとしても、できない。明らかに、マーティよりはイスズのほうが上手なのだ。結局マーティはイスズを笑わせることに専念し、ママを殺したヴァンパイアへの報復を肩代わりしてやり、悲劇の痛みを埋め合わせ素敵な思い出を作ってやるべく奔走する。

そんなマーティのパパぶりも素敵なのだけど、イスズがまた、破壊的に可愛い。可愛く、賢く、勇敢だ。大半の幼児がそうであるように、イスズもまた何をしでかすかわからない奴で、他人から見れば「こんな生き物、無理!」となるのだろうけど、物語がマーティの一人称で書かれていることもあって、マーティの抱く愛情がそっくり読み手に伝染する(マーティ風にいうなら「クーッ、何て可愛いんだ、こいつは」)。

ローマ法王がヴァンパイア暗殺を中止した経緯とか、マーティが兵役からヴァンパイアになって帰った夜の思い出とか、マーティの恋人さがし(イスズの新しいママさがし)の顛末とか。あんまり面白くって、単行本の600ページを二日かからずに読み終えてしまった。

今のところ、今年のベスト・ヒロイン賞(いま創設した)はイスズ・トルーパー・キャシディ嬢で決まり。

数日前、「映画化するなら監督は誰?」という質問に、咄嗟には答えが出なかったのだけど、昨夜ぴったりの監督に思い至った。ここはウッディ・アレンでしょう。決して好きな監督じゃないけど、必死さと滑稽さを絶妙にブレンドして、ユーモアと哀愁を込めて軽妙に仕立てるなら、これ以上お似合いの組み合わせはないんじゃないか、と。
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