la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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大脳ストリップティーズ/おっと、失礼!
「私がそこをどけばもっとましな人間があとを埋めてくれるでしょう。」
(『お気に召すまま』ウィリアム・シェイクスピア)


言葉を綴ることは最良のリハビリテーションだと思っていた。ところが、日を追うごとに後天性自閉症は悪化してゆくばかりだ。自分の内側を手探りすればするほど、その本質がどんなコミュニティにも受容され得ないもののように思えてくる。そして同時に、どんなコミュニティも私には受容し得ないような。そう、これまでどこにいてもずっとそうだったように、私はここでもまた、あまりにも異質なのだ。

ジェンダーを否定するためには女性が「女性的」であってはならないらしい。私が私の主義信条に反することなく生きるためには、私は私であることをやめなければならないらしい。それとも、もしかすると私の本質は今の私のようではなくて、今の私は周囲の抱く「私」のイメージに自分を合わせてきた結果なのだろうか(つまり丸山眞男の言うように、「何が本物だか何が化けものだかますます分らなく」なっているのだろうか?)。そうすることによって現実の私はずっと生きやすくなったはずが、そうしているうちに私の本質は今まさに、水面下で緩やかに窒息しようとしているのだろうか?
いっそのことこれまで培ってきた思想をぜんぶ捨ててしまえばいい(就職して半年ばかり経った頃、たまたま顔を合わせた大学時代の恩師に『なんか幸せそうな顔してるね』と言われた。私は心の中で、そりゃまあ思想を捨てて働いてますから、と答えたものだ)。けれど、どれほど現実と乖離していようと、それらは明らかに私の夢であり、理想であるのだ。こんなくだらない現実のために犠牲にするには、あまりに惜しい。

現実と妥協し合える日が永遠に来ないとしたら、そして、巷に溢れるあらゆるまやかしの手段で自己を洗脳することを、このまま頑なに拒否し続けるとしたら。暗闇で口ずさむべき歌さえ、私は忘れてしまうかもしれない。

ま、一週間もすればこの憂鬱は綺麗さっぱり消え失せることが、私にはあらかじめ解っているのだけど。私はおそらく、振幅の極めて小さな、さざなみ的躁鬱病なのだ。空が青いだけで有頂天になれるのと引き換えに、誰かの咳払いひとつで人生を投げ出したくなる。

でも、私は考えないで無難に生きるより考えて困難に生きることを既に選んでしまっている。たとえそれが世界との摩擦をいっそう大きくする思考であっても、それを放棄することは私はしたくないし、きっとできないと思う。

いつか、「できるけど私はしない」と断言できればいいのだけど。
(少し前の朝日新聞で日本人の科学者か何かが、日本の原発と技術力があれば核の兵器への転用は可能だと書いていた。私としては「不可能」論を信じたかったのでかなり怯んだのだけど、彼はこう続けていた。はっきりと。可能だがその選択をしないということこそが重要なのだ、と。うーん、カッコいいなぁ。)
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