la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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意訳と誤訳の狭間で
「『シャス・スプリーン』の意味は/『哀しみよさようなら』  だそうよ」
(『神の雫』第7巻、亜樹直 作、オキモト・シュウ 画)


※シャトー・シャス・スプリーンはそこそこ有名なボルドーの赤ワイン。「シャス・スプリーン」は仏語で“憂いを払う”の意味。


今回の引用は、人気ワイン漫画『神の雫』のひとコマから。
本来「憂いを払う」という意味の「シャス・スプリーン」を「哀しみよさようなら」とした作者のセンスは、漫画の原作者としては素晴らしいのだろう。繊細でドラマティックな語感が物語のラストをぐっと印象づけている。サガンの『悲しみよこんにちは』を連想させたりもして良いのだけど、でも、この意図されすぎた誤訳はワインの本質を歪めている、と私は思う。

シャトー・シャス・スプリーンというワインは、はっきりした力強い意志を持って「憂いを払い退ける」ワインだ。悲しみが溶け去ってゆくのを微笑んで見送るような、感傷的なニュアンスはない。少なくとも、私の印象ではそうだった。

そしてもうひとつ、この訳に文句をつける理由がある。
さようなら、という言葉が、私は嫌いなのだ。
それが別離の挨拶だからではない。その言葉の主体性の無さ、不透明な無機質さが厭わしいのだ。さようなら=左様なら=そうならば=さらば。言葉自体に、相手に対する発話者の感情が少しも込められていない(表情とか声とかのニュアンスは別として、厳密な語義の話)。

「挨拶は笑顔で」と現代人は教え/教わるけど、私が思うに、「左様なら」とか「さらば」とかいういかにも武士武士した挨拶を、昔の人は決して笑顔では言ってなかったはずだ。もし笑顔で言うのなら、挨拶は「左様なら」より「また会おう」とか「気をつけて」のほうがずっと自然だ(「続きを読む」以降を参照のこと)。

でも、よくよく考えると、大抵の挨拶というものは条件反射かなんぞのようにするりと交わされるもので、語義をとやかく言うべきものじゃないのだろう。第一、私の場合「よくよく考え」てしまうことがうまく挨拶できないひとつの要因になっている。おまけに「よくよく考え」た結果、私は日本語の挨拶のほとんどを「好きじゃない」ということに気づいてしまった。「おはよう」も「こんにちは」も「こんばんは」も。「おやすみ」というのも要するに、穏やかな言葉遣いで「寝なさい」と言ってるに過ぎない。「行ってらっしゃい」もまた然り。

もちろん「考えすぎ」と一笑に附されることは解っているけど、困ったな。

ちなみに西洋では、イタリア語の“arrivederci”やフランス語の“au revoire”みたいに、日常の別れの場面では「また会いましょう」という挨拶が主流だ(ドイツやロシアでも同じ)。英語の“good bye”は“God be with you”の略なのだそうで(はっきりグッドと綴るのに元々はゴッドらしい。本当かな?)、こちらは「神様があなたと共にありますように」という、祝福の気持ちを表したもの。

東洋でも、中国の“再見”は「また会いましょう」型、韓国の“アンニョンヒ・カシッシオ”は「安全に行ってください」という意味の「祝福」型。

何でこんなに別れの挨拶に詳しいかというと、前に勤めていた職場で、社内向けの週間天気予報の片隅に600字くらいのコラムを書いていた時に一度取り上げたからだ。その時は「さようなら」のことを、「良くも悪くも『日本的』な挨拶」だと書くにとどめたのだけど、やっぱり私はこの挨拶が嫌いだ。
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