la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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銀河戦争の夜
「本当の破滅はね、こんな静かな夜に、こっそりと背後から忍び寄ってくるものなの。」
(硲 芙美代『霧の日』)


※だいぶ修正しました※
はい、ギャラクシー・ウォーズ。
立原がそう言って差し出したのはあたし用のマグカップで、ついさっき電子レンジのピー、ピー、という合図と陶器に触れるスプーンの音が聞こえたのを、きっと立原が毒薬を調合しているに違いない、たとえば立原があたしを毒殺するとしてどんな動機があるだろう、と空想していたあたしは、「ギャラクシー・ウォーズ」という剣呑な言葉に思わず顔を顰めた。
「ギャラクシー・ウォーズ?」
マグを受け取ると、温かいミルクとラム酒の甘い香りがふわりと漂う。
「そう。本当の破滅は、こういう甘い幸福の陰にひそんでやって来るんだって。そういう諧謔を込めて名付けられたカクテル」
「…いいね、毒薬はやっぱり、そんな風でなきゃね」
あたしが言うと、立原は自分の左手のマグカップをあたしの方へ差し出した。
「心配ならこっちのと交換する?」
「あたしがそう言うのを見越して、毒はそっちのマグに入ってる」
「樹(いつき)がそう考えるのを見越して、毒はそっちのマグに入ってる」
あたしは笑って、マグ(最初に渡された自分のマグ)を両手で包み、ふうふう息を吹きかけてから口をつけた。
「…おいしい」
 単純で陳腐な言葉が不用意に零れて、あたしはまた少し顔を顰める。同じくらいかそれよりもっと不用意に、あたしの目からは涙が零れる。ちょっと気を抜くとすぐにこれだ。けれど立原はあたしの涙に気づかないふりをして視線を外し、向かい側に座ると自分も“ギャラクシー・ウォーズ”のマグに口をつけた。
「眠れない夜はこれに限るね」
「それであたしを眠らせてくれるのね、永遠に」
「樹」
立原はちょっと咎めるようにあたしを見た。「そういうのを“死神とワルツを踊る”って言うんだよ。そんなことばかり言ってると死神に見入られるって、ルリタニアの古い言い伝え…」
「ルリタニア? 聞いたことない」
「とにかく、これはミルクに砂糖入れて電子レンジにかけて、仕上げにダークラムをたらしただけ。毒とか気の滅入る暗喩なんか、どこにも混ざってないよ」
 生真面目にそう説明しながら、立原の目は子猫を見る目に変わる(立原は「電子レンジにかける」ことを「チンする」とは言わない。「だってうちのレンジ、チンって言わないし」。そういう、言葉に対する奇妙な潔癖さというか厳密さみたいなものを、立原は自分でも「神経症的」だと言って笑うのだけど)。
 けれどギャラクシー・ウォーズには、はっきりと、優しさという毒が盛られていた。あたしの緊張を解き、闘争心を鈍らせ、お前は無力だと囁く毒が。
「で、今は話したい気分? それとも話したくない?」
「あたしに訊かないでよ」
「何も決めたくない気分?」
 癪に障る。優しさに苛立つ。立原があたしを、路地裏で途方に暮れている子猫とそっくり同じに扱うから。
 きっと立原は嬉しいのだ。あたしがここへ「逃げて」来たことが。
 そう、ここにいれば、あたしは何も怖がらずに済む。ただ立原の優しさに甘えていれば、何も心配しなくて済む。あらゆるものから、子猫みたいに守られて。
 あたしは肩を竦めた。
「これ飲んだら帰るね」
「…泊まっていかないの?」
「うん」
 立原の動揺があたしには楽しい。今までは、子猫は空腹を満たし健康を回復するまで、この安全なねぐらを離れようとはしなかったのだ。
「もう、ここには来ない」
「…何で?」
 許されたくないから。守られたくないから。優しくされたくないから。
「だって、立原がむかつくんだもん」
 あたしが答えた途端、立原はちょっと面喰った顔をして、それから声を立てて笑い出した。
「樹に優しくするのは、自分のためだよ」
 笑い出したのと同じ唐突さで笑うのをやめて、立原はひどく真面目な顔つきをした。
「他人の不幸の上に自分の幸福は成り立たないから、だから樹に優しくするだけ」
 些か呆気にとられて、あたしはまじまじと立原を見つめ返した。
「…自分の幸福のために万人の幸福を要求するんだ? それ、実はものすごいエゴイズムじゃない?」
あたしの皮肉にも立原は怯まない。
「そうだよ」
「じゃあさ、万人の幸福と引き換えなら、自分の不幸を受け入れる?」
 立原はちょっと眉をひそめた。「カムパネルラだね」
 マグの中の“銀河戦争”はすっかり冷めて、ミルクが膜を張っていた。
「うん、でも、受け入れるかも」
 立原が言ったのであたしは驚く。
「もしかするとたった一人の幸福のためでも、それが確実に保証されるのなら」
「…呆れた。ねえ、捨て猫の面倒見てる暇があったら、自分が幸せになる方法を考えなよ。万人の幸福って、あんただってその万人の中に含まれてるんだからね」
「…解ってるよ」
 頑なに立原は言う。
「解ってない」
 頑なにあたしは言う。
「…解った」
 とうとう笑い出しながら、立原は軽く両手を上げてみせた。「堂々巡りだよ、こんな議論。結局、人の幸せとか不幸せは、他人がどうこうできるものじゃないんだし」
「そう。それを左右できるのは、神様だけ」
 あたしが言うと、立原の目をちらっと不愉快そうな光が過る。
「大丈夫だよ。こんな時間に神様について議論する気はないし」
「…ならいいけど」
「それじゃ、あたし帰るね。“銀河戦争”ごちそうさま」
「ああ、うん…」
 後味の悪そうな顔で、立原はあたしを見送るために立ち上がった。
 あたしが死神とワルツを踊るのをやめないと、立原には解っている。けれど、人の幸せとか不幸せは、他人がどうこうできるものじゃない。
 立原にはそのことも解っている、それを知っただけで、あたしには充分だ。
「じゃあ、またね」
 立原はいくぶん不安げにそう言った。
 あたしはそれには答えずに、ただ笑って手を振った。
 
 じゃあ、またね。
 空虚な言葉。
 
 立原の手を解いて夜のほうへ伸ばしたあたしの手に、そっと死神の手が触れる。
 ワルツのお誘い。
 微笑んで、膝を屈めて、あたしはその手を取る。
 そして踊るのだ。
 死神とワルツを。
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