la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
夢と結んで花開き、やがて悪夢へ変わるもの
生真面目に、深刻に、権力について考える。

手に入れることよりも、正しく使うことのほうがはるかに困難な力。

おっかなびっくり振り回してみると思いがけない支配力があるので、人は次第に、それが自分に固有の能力であるかのように錯覚する。
そして他人を見下し、他人の言葉に耳を貸さなくなる。

けれど、自分が他でもない「権力」によって腕ずくで他人を従わせていることは、心のどこかでちゃんと承知している。
だから、権力を行使し始めた途端、人は他人を信じることができなくなる。
「口ではそんなことを言っていても、腹の中で何を考えているか知れたものじゃない」。
その疑心暗鬼は、人の心から平安を奪う。

そもそも、他人の心の中は不可知の領域だ。
他人を疑い始めれば、そして信じることができなくなれば、人は神経症的な不安に始終、脅かされることになる。
この権力を狙っているのではないか、自分を騙して何かを奪おうとしているのではないか、この目を盗んで悪事を企んでいるのではないか。

そうなれば、もう平穏な夜は望めない。
夢はすべて悪夢に変わり、明らかな現実をさえ、その悪夢を通してしか見られなくなる。

だから権力を手にするのは、他のどんな不幸よりも不幸なことだ。

何かを失いたくないと強く思うことは、たとえそれが権力ではなく愛であっても、間違いなく人を不幸にする(そして今の私には、愛というものも権力の一種であるように思われる。たとえば愛されているが故の傲慢さ、愛するが故の束縛)。

権力と個人との結びつきは、ちぐはぐで醜い。
本来つながるはずのないものをつなげた個体、たぶんキメラのような。
暴れ出すと手がつけられず、自分の身に害が及ぶのを恐れて周囲は沈黙する。

その権力を、個人ではなく不特定多数に分散させようという試みが、民主主義なのだろう。
多数決の思想。
けれどそれにはそれで、多数決の落とし穴というものがある。

人類はようやく、その落とし穴に気づき、それを埋める必要があると考え始めたばかりだ。
そこで躓いているのが、今のこの社会。

醜いキメラたち、或いはまだ権力を夢と捉え、それが悪夢に変わることなどあり得ないと信じる無邪気な野心家たちが、民主主義の躓きにほくそ笑んでいる。

これは宗教界で繰り返し起こってきたのと同じ現象だ。
ひとつの潮流が行き詰まると、それ以前の慣習が思い出され、ノスタルジックに「再発見」され、新たな流れが生まれるより先に「復興」する。

ファシズムへの回帰?
そんな馬鹿な。
少し前に職場の人が呟いた、「日本人、そこまで馬鹿じゃないでしょう」という言葉に、私は勝手に希望を繋いでいる。

そうだよね、何人であれ、人間、そこまで馬鹿じゃないでしょう。

でも、もしかすると、そこまで馬鹿、なのかな。

信じたい気持ちと、信じきれない気持ちと。
私にできるのは、自分が持っている投票権を、できる限り有効に使うこと。
ただそれだけ。
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