la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
世界でいちばん眠たい映画
「なによりも映画的なもの、フォトジェニックなものは水だ。水には深さがあり、動き、変化し、鏡のように、ものを映しだす。水はモナドなのだ。」
(月刊イメージフォーラム1987年3月、追悼・増補版『タルコフスキー、好きッ!』(何だこのタイトルは!!)より、映画監督アンドレイ・タルコフスキーの言葉)



私は、読むものがないと頭を抱えて悶え苦しむくらいの活字中毒だ。
無差別にポスティングされる広告だらけのフリーペーパーを日頃は苦々しく思っているくせに、他に読むものがないとなるとそれさえも貪るようにして読む。
ページの一隅に乗っている映画館の上映スケジュールの一覧まで、映画のタイトルのひとつひとつを、丁寧に読む。

そして、発見した。
「京都みなみ会館」の欄に小さく書かれていた「タルコフスキー特集」の9文字。
何と、みなみ会館では今月末からタルコフスキー生誕80年記念の特別上映会をやるのだ。11月24日から三週間ほどかけて、タルコフスキーの全8作品をすべて上映する。

心拍数が一気に跳ね上がった。

タルコフスキーを知っている人、というのは一般にはまず、いない。料理研究家の高山なおみのエッセイに出てきたことがあったくらい(タルコフスキーの映画がとても良かったので友人を連れて行ったら、よくわからなかったみたいで悲しかった、というエピソード)。
だから、タルコフスキーを上映する映画館、というのも一般にはまず、ない。私はタルコフスキーの全作品をほぼ観ている(『アンドレイ・ルブリョフ』だけは途中で挫折した)けれど、映画館のスクリーンで観たことは、まだ一度もないのだ。

確かにタルコフスキーの映画は、人から「どんな感じの映画?」と訊かれると言葉に困る。絵画然とした構図の、極めて彩度の低い映像。特徴といえば真っ先にそれが思い浮かぶけれど、それは「映画」の説明にはならない。思索する映画。水に浸された世界。どこかを、或いは何かを見つめる人間の眼差し。すべてがゆっくりと動く、或いは動かない映画。
どう言っても何も伝わらない。そこで私は、「世界でいちばん眠たい映画」と答えることになるのだけれど、それはタルコフスキー映画の本質を表す言葉であると同時に、その本質をたちまち「退屈」と同義に解釈されてしまう言葉でもある。

眠くなる、というのは、タルコフスキーの映画の場合、「観る」という行為がそのまま意識の最奥へ潜ってゆくことにつながるからだ。
夢、回想、独白、沈黙、希望、絶望、郷愁、そして、水、炎、風。
意識の最奥へ。静かに、ゆっくりと。
何かの催眠術のように。
催眠術。閉じた記憶を暴くために精神科医がやる傲慢な手続きではなく、隠された意図なしに、ただ「向き合うこと」だけを目的として(タルコフスキー自身が世界と向き合うこと。観客にそれを強いるわけでは決してない)。

そして、私は眠くなる。

ロシアで生まれ育ち、後年、ミラノでの制作中に事実上の亡命を宣言したタルコフスキー(私は「亡命」というものに何故だか無性に心惹かれる。永遠の一方通行、不可逆的な越境、それは死であると同時に誕生でもある)。
きっと、私は映画館でも眠くなるのだろう。
もしかすると、本当に眠ってしまうかもしれない。

けれど。
それでも私は、タルコフスキーを観たい。
追記、みなみ会館と、今回の上映スケジュールについて。

みなみ会館は、かなり小さく、コーラもポップコーンも清潔感もない映画館だ(そのくせグルジア出身の監督の映画をやってた時は、ロビーとも呼べないような狭い空間でグルジアワインの試飲販売をやっていた)。そもそも映画館の音響は私には「うるさすぎる」ので、滅多に映画館へは行かない。けれど、私はこの「みなみ会館」を過去に数回、訪れたことがある。
一回はそのグルジアの監督の時(誰の何という映画を観たのだか思い出せない)、それからルキノ・ヴィスコンティ特集の時(『ルートヴィヒ』、何年前かは思い出せない)、もひとつは『不思議惑星キン・ザ・ザ』(ごく内輪でしばらく「クー!」が流行った)の時だったから、まあこれだけでどれほどマニアックな映画館かわかってもらえると思う。

こういう事情があっての、さすが「みなみ会館」、という感慨である。

そして今日、みなみ会館のホームページを見てみると、タルコフスキー特集の上映スケジュールが公開されていた。
ひと通り目を走らせて、愕然とした。
このスケジュールじゃ、いちばん観たかった『ノスタルジア』が観られない!
定時で仕事を切り上げれば、夜の上映には間に合う。
けれど、前に「定時で仕事を切り上げ」たのって、どのくらい昔のことだっけ?

…当分、苦悩の日々が続きそうだ。


さらなる(長い)追記、タルコフスキーへの私の偏愛について

私の本棚にある一冊の本(『イメージフォーラム』no.80、追悼・増補版)。
発行は昭和62年3月20日。
学生時代に下賀茂神社の「納涼古本市」で見つけた、古本の神様からの最高の贈り物。
タイトルは『タルコフスキー、好きッ!』(この「ッ」は本当にカタカナだ)。
当時、私はタルコフスキーの映画と出会ったばかりで、「タルタルソース」という文字にさえハッと反応してしまうくらいにのめり込んでいた(この出来事から、私の周囲には巨匠タルコフスキーを「タルタル」と呼ぶ不敬な輩が出始めた)。だからこそ、膨大な古本の束の中から一瞬でその文字を識別したのだ。

それを掴んで店番のおじさんに「これ下さい」と言うのには、結構な努力を要した(何せ「好きッ!」である)。でも、勇気を振り絞って言えて良かったと、しみじみ思う。

表紙の写真は、頬杖をついてやや斜めからカメラに視線を向けた、軽いしかめ面にも不敵な微笑にも見える微妙かつ絶妙な表情のポートレイト。
裏表紙は、遺作『サクリファイス』の一場面。
タルコフスキー自身による解説やインタビューもあり、カラー図版もあり、執筆陣は手塚治、黒澤明、石井聰亙、萩原朔美、司修、赤瀬川原平、押井守、手塚真、武満徹(これはインタビュー)、といった「錚々たる」顔ぶれ。

去年だったか、深夜に焦げくさい匂いが部屋に充満して、すわ火事か、と思った時に私が真っ先に本棚から抜き出したのが、この本だ(他の何よりも、当時の恋人からもらったプレゼントよりも先だった)。
結局それは火事ではなく、その後も深夜に古式ゆかしい煮物の匂いや何かが(夏場、小窓を開けている時期には)部屋に充満することがよくあって、同じマンションの住人が深夜に煮炊きをするライフサイクルの持ち主なのだろう、という結論に落ち着いている。

たぶん、あの夜は仕事で疲れていて、グリルに入れた干物を焦がしてしまったのだろう。
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