la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
ツールーズ発、六時十分
「夕暮れわれ水を眺むるに/流れよるオフェーリヤはなきか」
(かなりうろ覚え、たぶん堀口大學の書いた詩の一節)


オフィーリアというと、私はすぐにこの言葉を思い出す。
初めてこの一節を読んだ時、意味がよく解らなくて十秒ほど考えて、それから急激に可笑しくなって笑ってしまった。夢見がちな男子学生が夕暮れにぼんやり川面を眺めながら、ふと「オフィーリアでも流れて来ないかな」などと思って川上のほうへ視線を転じる姿がありありと思い浮かんで。

んなもの、流れてくるわけないじゃん(ほんとに流れてこられても困るだろうに)。

もとい。
詩人・翻訳家・仏文学者の堀口大學は、古風なヨーロッパの匂いのする、とても澄んだ詩情の持ち主だ。言葉もそうだけれど、フランス語を訳すのにフランス語の語順(主語の直後に述語がきて、その後に目的語、という)をそのまま使うのが、独特のリズムを作っていて良い。サン=テグジュペリの『南方郵便機』の翻訳はほんとに美しくて、私は今では冒頭の数節を諳んじてしまったくらいだ。

「水のように澄んだ空が星を浸し、星を現像していた。しばらくすると夜が来た。サハラ砂漠は月光を浴びて砂丘へと広がっていた。・・・」

もちろん、いつか原文で読みたいという儚い希望もあるけど、日本語版に関しては堀口訳が私の決定版だ。みすず書房の全集が違う人の翻訳なのが歯がゆい!

それは「声に出して読みたい日本語」のたぐいとは一線を画する、普遍的な思考の美しさだ。美しいのは言語そのものではなく、思考なのだと私は思う。翻訳をして初めて気づいた、と堀口が語る原文の「稀有の美しさ」が損なわれることなく写し取られたのは、堀口の思考がテグジュペリのそれとかなりの精度で同調していたからではないか、と。

作家と翻訳家。このテーマはまたあらためて。
…初の「次回予告」。

これを書いててふと気づいたのだけど、私の好きな文学者には「堀」という漢字のつく人が多い。そして「堀」という漢字のつく私の好きな文学者は皆、ヨーロッパ(特にフランス)とかかわりが深い。堀江敏幸、堀口大學、堀田義衛。堀田義衛が住んだのはスペインだけど、彼にもフランスを舞台にした著作がある(『ミシェル城館の人』、未読)。

あ、そういえば堀井和子さんも・・・ってこの人は文学者じゃないか。掘田あけみは別に好きでも何でもないな。ううむ。
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