la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
誰も読んではならぬ。
「私の秘密は私の心にある。私の名を知ることは誰にもできない」
(歌劇『トゥーランドット』のアリア「誰も寝てはならぬ」より)

もちろんタイトルはこの記事のことを指すのではない。
世の出版物に仕込まれた危険な罠のことを、私は皆皆様に申し上げたいのだ。

ここ数日トルストイの『戦争と平和』を読んでいて、予想外に面白くて夢中になって読んでいたせいで首が痛くなったりしている。何せ「歴史とロマンの一大交響曲」、「五百人をこす登場人物」である(まさか狩猟の場面に出て来る「二十人の騎馬の背子」を数えたりしてないでしょうね)。そのうえ私の大好きな米川正夫訳、これは読み甲斐も(首の痛くなり甲斐も)あろうというものだ。

今ちょうど四分冊の二冊めなのだけど、罠というのは一冊目の巻末に仕込まれていた「解題」のことだ。活字が続いていると読まずにいられない私は、(罠の匂いに勘づいてはいたのに)ついそれを読んでしまった。

しかし、何故この手の大作は「解題」を一冊めの巻末に載せるのだろう(四分冊なら四冊めの最後に入れれば良いのに)。私の手元にあるのは2000年の「第23刷」、たぶん、「ネタバレ」という言葉は既に市民権を得ていただろうと思う。「誰それはこういう理由で誰それと結婚する」とか「誰それはこういう出来事を経てまったく人が変わったようになる」とか、もう、「書くなよぅ!」と思う。

その昔トーマス・マンの『ブッデンブローク家の人々』を読もうとした時など、扉の「登場人物紹介」に「失意のうちに世を去る」とか書かれていて愕然としたことがある(もちろん、物語の始まりの時点では生きている人だ)。ここまで来るともう、図書館で借りたミステリの登場人物紹介のページに「犯人はこいつだ」と落書きするのと同じじゃないか。そんな風に驚き呆れ、結局、『ブッデンブローク~』は今に至るまで読まずじまいだ。

物語の先は、本来であれば秘密のはずだ。カラフの名と同じく、書かれるまでは(そして書かれた後も読み手に読まれるまではやはり)作家の心の中にだけある、誰も知ることのできない秘密のはずだ。
その秘密を、たとえどんな古典作品であっても、物語の冒頭や中途で暴露して良いはずがない(暴露するなら当世風に、1ページ手前に「ネタバレ注意」と明記しておくべきだ)。『戦争と平和』で言えばニコライ・ロストフの、アンドレイ・ボルコンスキィの、ピエール・ベズーホフの、そしてソーニャの、ナターシャ・ロストワの、マリヤ・ボルコンスカヤの未来は、読者にとっては常に「未来」であり、読書というのは彼らの「現在」をたどってゆくことに他ならないのだ(時制を入れ替えたりするような技巧が凝らされていなければ、の話だけれど)。


しかしまあ、「解題」と明記してある時点でそれは「ネタバレ」を意味するのだし、きっと「ネタバレ注意」と書いてあっても私は読んでしまっていただろう。
だから本来は、「誰も読んではならぬ」ではなく「誰も(一巻めに解題を)載せてはならぬ」なのだ。

とりあえず、そんなこんなで意外な縁組を知ってしまった私が『戦争と平和』を読む気を失くしたかというと案外そんなこともなく、順調に二巻めを読み進んでいる。
相変わらず、首を痛くしながら。
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