la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
脱・原因不明人生!
今まであれこれと身体に不調を来しては「どこも悪くありません」と言われ続けてきた。
だから今回も、どうせそんなことだろうと思っていた。

目が覚めた瞬間に左胸に激痛が走ったのは二ヵ月くらい前。青息吐息で病院へ行ったけれど、その時は「どこも悪くありません」だった。心電図も血液検査も異常なし。痛みそのものも数日で治まった。
それが数日前に再発。これは確実に死ぬなと思うくらいの痛さで、自転車を押してそれにすがるようにしながら(明らかに不審者状態で)再び病院へ。すぐ救急診療に回されて、体温計を脇に挟まれ加圧帯を腕に巻かれクリップみたいなので指先を挟まれ(血中酸素濃度を測定する装置らしい)、その後、採血。

採血は楽しい。自分で自分の手首を切って生きてることを実感するなんてとても怖くてできない私(普通か)だけれど、採血の時は、いつも血管に刺さった針や容器に溜まってゆく血をまじまじ見つめる。針を刺すとき大抵の人は視線を逸らすようで、時々それを待ってくれようとする看護師さんもいるのだけど、もちろん私は凝視をやめない。ああこれが生きている私の血なのだなと、しばし痛みを忘れて血液鑑賞(うっとりするほど美しいバーガンディ・レッド。間違いなくピノ・ノワールだ)。ついでに看護師さんの採血がすごく巧くて(「ちくっとしますよ」って、まったく何も感じない!)それにも感動したり。

↓長文です↓

それから駄目押しの心電図。無駄ですよぅ、とゴネたいけれど、抵抗する余裕はない。素直に横になろうとした途端、ありえないくらいの激痛に襲われる。
「ハイハイ、すぐ終わるからねー、力抜いてねー」
あのね。激痛に悲鳴を上げながら力抜ける人がいたらそのほうが異常だよ。
泣きながら身を捩って痛がり、内心で「このサディスト~!」と絶叫(親戚が集まる場とかで必ず持ち出される「子ども時代の笑い話」として、私の兄が採血の際「たすけて~、血が減る~、ひとごろし~」と泣きわめいた、というのがあって、今ふとそれを思い出した)。

そこから少し記憶が飛んでいる。車椅子に乗せられそうになって「あの、あのぅ、自分で歩ける気がします…」と断ったことは覚えている(今思えば乗るべきだった、というのも車椅子に乗った時の視界や感覚やその他の何やかやを感じてみるべきだったと思うのだ)。記憶が繋がるのはレントゲン室でのこと。胸部と腹部、それから何故か、またしても「横になって一枚撮ります」。
何故だ。立ってようが寝てようが骨は骨だろうに。
そんで横になろうとするとまたしても耐えがたい激痛。百戦錬磨の看護師さんは「あー、横になると痛いねー」と、大雑把に同情してくれる(そして私は同情されるのが嫌ではない)。

救急診療室へ戻り、カーテンで仕切られたベッド(学校の保健室を思い出させる)の上で三角座りをして(横になるほうが辛いので)息を潜めながら待つ間、私はずっと考えていた。
・検査はどれも「異常なし」だろう。
・肋骨をどこかにぶつけたとかいう記憶はない(つまりレントゲンでは見つかりにくい小さなヒビとか、そういう心配はない)。
・それでも痛いものは痛い。
・つまり、これは「肋間神経痛」に違いない。
・何が何でも「肋間神経痛」と言わせてやろう(原因不明は嫌だから)。

そのとき反対側のベッドで待たされていたおじさんは、お尻がむちゃくちゃ痛くて足が動かせないらしい。検査しても目に見える異常がないというので腹を立てていた。
「三時間も待っとったんや、それで何もわからへんのか?」
解る、すごく解る、その気持ち。痛みは現実のものとしてはっきり体感されているのに、何が原因で、どうすれば改善されるかは決して教えてもらえないのだ。
ああ、でも、「人生」経験ならともかく、「原因不明人生」経験はおじさんより私のほうがずっと豊富だ。気の毒だけど、「あなたはこうだから、こうすれば治ります」なんて診断は滅多に下されない。結局、診察てのは無数の選択肢に立ち向かう懸命の「消去法」なんだ。「これじゃない」「あれじゃない」という結論は幾らでも出るけれど、「これだ」にたどり着くのは想像以上に困難なんだ。

やがて私のカーテンを開けてのぞいてくれた医師の言うことには、やっぱり、私の肺と心臓はまともに機能しているらしい(ああ健気なのか鈍感なのか)。けれど、医師はそれを、「動脈瘤があります」とか「肺気腫です」とか言うよりいっそう困惑気味に、気の毒そうに告げた。
「なので、今すぐに取り除いてあげられる痛みではなさそうです」。
こんな心優しい医師には初めてお目にかかる!
心電図とレントゲン時の私の悶絶ぶりを目の当たりにして、原因を明確にできず治療もできないことを、申し訳なく思ってくれているのだ。肺も心臓もまともに動いていながら「激痛」を訴える厄介な患者に、「気のせいだっつーの」とは言わずにいてくれるのだ。

そして、彼の結論はこうだった。
「考えられるものとしては、肋間神経痛とか…」。
うーむ、煮え切らない! 慌てて「私も、そうかなと思ってたんです」と言ってみると、医師の顔にはっきり安堵の色が浮かぶ。初めて症状が出た時期に何か環境の変化があったかとか(強いて言えば変化がなさすぎるのが苦痛になってきた)、日ごろストレスを感じるかとか(しかしこの質問に「いいえ」と感じる人っているのかしらん)、生活は規則的か(一定の不健康な規則にのっとってるけど、きっと質問の意味はそんなことじゃない)とか、訊かれる。これでもう、心因性なのは確定だ。
やったね私。

ギックリ腰をギックリ腰と断定するのは難しい。世の中には万一ということもあるし、安易に「ギックリ腰」と診断した相手が実は椎間板ヘルニアだった、ということも(よう知らんけど)あるかもしれない。だから、現場の医師が安易な診断を下さないのは、厳密に言えば良いことなのだ。
だからね、おじさん、怒らずにもうちょっと様子を見ようよ。
不安だからさらにMRI検査を受けたいのか、それともとりあえず仕事に戻りたいから検査はここまでにして痛み止めだけ処方してもらうのか、それは医師が決めてくれるんじゃなく自分で決めなきゃいけないことなんだよ。

というわけで、私は目下「肋間神経痛」です。
いや、これがまた痛いんです。ひどい時は歩けません。
なので、道端で自転車に寄りかかって苦しんでいる私を見かけたら、「あ、肋間神経痛の人だ」と思って下さい。くれぐれも、救急車など呼ばないで下さいね(心電図もレントゲンももう飽きたから)。

さて、それじゃ、安静に安静に。
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