la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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キリエは不要、その2
「過去も未来もなく、ただ日々、減少していく現在があるだけの、退屈の極みと言うべき無時間世界」
(『コカイン・ナイト』J.G.バラード)


やっと、ほんとに「やっと」、J.G.バラードを読んだ。中学生か高校生くらいの時に『沈んだ世界』『結晶世界』と立て続けに挫折して以来、バラードは私の懸案のひとつだったのだ。

本を読む動機というのは幾つもあって、知識を得るために読む、娯楽として読む、時間を潰すために読む、エトセトラ、エトセトラ。私が村上春樹を読むのは批判するためだし、テグジュペリやドストエフスキーは「生きるために読む」という感じ。

そして、バラードはというと。
「仮にもSF好きならば、押さえておかなくてはならない作家」なのだ(そういう、「読んでおかなければならないような気がする」というのもまた、私の読書の大きな動機だ)。やや異色な作家ではあるのだけど、ずっと気になっていた。

『コカイン・ナイト』は、剣呑なタイトルと扇情的な表紙(私が読んだのは新潮文庫版)の割に地味な物語だと思ったけれど、高橋源一郎が解説で書いていた一言が、とても印象的だった。

「バラードにとって、世界はすでに死んでいるのです。」

静かで重たい沈黙。
もちろん死んだ世界にハッピーエンドは訪れないし、死んだ世界で生きている人々にも救済は訪れない。それほどバラードの視線は真摯なのだ。夢見ることを許さない冷徹さ、言い換えれば、おそらくは深い深い、絶望の眼差し。

どうやら、バラードについてはちゃんと学ぶ必要がありそうだ。とはいえ、この人の文章はあまりに非・娯楽的なので読むのに覚悟がいる。読んでいて「ううむ比喩表現が秀逸だ」などと感心している時点で、私はのめり込めていなかった。次の一冊に手を伸ばすには、もう少し、インターバルが必要だろう。

↓「キリエは不要」について、補足
京阪出町柳駅の前にある「名曲喫茶・柳月堂」では、膨大な所蔵レコードのカタログからどれでも好きなものをリクエストできる。もちろん「白鳥の湖、全曲」なんて書くと「演奏時間の都合上、ハイライトとさせていただきます」ということになるのだけど、ある日、私がチャイコフスキーの弦楽四重奏曲第一番をリクエストノートに書き込もうとしたとき、一曲前のリクエストに「ヴィヴァルディ、グロリア・ミサ(キリエは不要)」と、断固とした筆致で書いてあるのに気づいた。ちゃんと調べてないので推測になるのだけど、この曲には(おそらくバロック時代のミサ曲には大抵)、「グロリア」という神の栄光をたたえる晴れやかな部分と、「キリエ」というやや陰気な部分(神よ憐れみ給え、という、使徒ペテロの歌。関係ないけど、バッハの『マタイ受難曲』の中のキリエは素晴らしい!)とがあって、リクエストした人は「キリエ」は聴きたくなかったのだろう。

いいリクエストのしかただな、と思った。たぶん一枚のレコードを途中で止めなければならないのだろうそのリクエストに、お店の人はちゃんと応えていました。ブラーヴォ。

で、弦楽四重奏を聴き終わって店を出ようとした時、次のリクエスト曲の冒頭が耳に飛び込んできた。同じチャイコフスキーの、ピアノ協奏曲第一番。店内にいたどなたかが、私のリクエストに呼応する形で書いてくださったのかしらん。なんて妄想を膨らませてみたけど、駄目だ。この曲を聴いて私が思い出すのはモンティ・パイソンのスケッチ(コント)なんだもの(ご存知ない方、調べてみてくださいな)。
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