la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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どくしょきろく、得点つき③
相変わらず本を、読んでばかりいて何も書かずにいる今日この頃。

『アウステルリッツ』W.G.ゼーバルト(75点)
旅と邂逅、駅、列車、失われた過去。とりとめなくとめどなく流れてゆくゼーバルトの語りは、思索的でとても心地良い。「アウステルリッツ」という字面からアウシュヴィッツを連想して手に取るのをためらったその予感が外れたことにほっとしていたら、後半やっぱりその話になってかなり参った(訳者のあとがきによると、ゼーバルト自身「アウステルリッツという名はアウシュヴィッツを連想させる」と語ったことがあるらしい)。
ゼーバルトが語られるべきことを語っているのは百も承知だ。けれど、私はアウステルリッツには現実ではない、少なくとも現実的ではない過去を望んでいた。忌避を、そして逃避を、読書において私は自分に許しているから。

『死者の百科辞典』ダニロ・キシュ(65点)
絶対に好きな感じだと確信していたのに、好きになりきれず残念。語りがあまりに俯瞰的で神話みたいな読み心地。好きな人は好きなんだろうけど(私は神話が苦手)。表題作と「赤いレーニン切手」あたりは映画のような後味を残してくれてなかなか良かった。
タイトルからしていかにもだけど、この作家もまたボルヘス風味。うーん、もっと好きになっても良さそうなのに。

『スピノザ』ジル・ドゥルーズ(点数なし)
私にスピノザは無理だ、と思った。あまりにも迷いがなさすぎる。キルケゴールが冷徹すぎて無理だったのと少し似た感じ。

『重力の虹①』トマス・ピンチョン(点数なし)
挫折。いや、読み手として挫折したのではなく、図書館で取り寄せてもらった本そのものが、かなり汚なくて。表紙だけならともかく中のページも救い難い状態でちょっと耐えられず…。
図書館の本は大切にしましょう。というのが、『重力の虹』に対する私の感想。

『ダロウェイ夫人』『フラッシュ』ヴァージニア・ウルフ(共に85点)
私はヴァージニア・ウルフを(何故か)長らく黒人女性だと思っていて、そして『ダロウェイ夫人』を(何故か)長らく、南北戦争絡みの黒人女性の一生を描いた小説だと思っていた。最近ようやく気づいたのだけど、どうやら私は彼女をアリス・ウォーカーと間違えていたらしい(たぶん「ヴァージニア州」のイメージとかもはたらきつつ)。
意外にも英国人女性だったヴァージニア・ウルフは背すじのすっと伸びた上流階級のご婦人で、彼女の小説もまた、背すじのすっと伸びた上流階級のご婦人を描いていた(皮肉で言うのではなく)。ロンドンの6月のある一日を、その同じ時間にそこにいた人々の視線を通して、丁寧に緩やかに描いた『ダロウェイ夫人』。詩人エリザベス・B・ブラウニングの生涯を愛犬フラッシュの視点で語った『フラッシュ』。どちらも、とても、素敵だった。
『ダロウェイ夫人』は、幾人もの人々の意識をそぞろ歩く感じ。主観が別の人物にふっと切り替わるときの、ウルフの足取りがとても軽やかで心地良い。
『フラッシュ』は、これはもう掛け値なしの純愛小説だ。バレット嬢とブラウニング氏の、そしてそれ以上に、エリザベスとフラッシュとの。バレット嬢の恋が彼女の主観で語られたなら、これはもうハーレクイン・ロマンスの領域だろう(ノンフィクションではあるけれど)。ただし、ここでそれを語るのは彼女の愛犬フラッシュなのだ。ブラウニング氏は、バレット嬢と自分との穏やかで満ち足りた生活への闖入者として扱われる。この犬はとても犬らしい犬で、それゆえ底なしに愛おしいのだ(敵意をたぎらせてブラウニング氏のふくらはぎに噛みつくエピソードなど、思い出しても胸がきゅんとする)。
こんな作家だとは知らなかった。
ヴァージニア・ウルフなんかこわくない、と言いたいところだけど、このすごさはちょっとこわいかも。

↓続きます↓

『ぶどう畑のぶどう作り』ルナール(55点)
『博物誌』はね、わりあい好きなんだけど。
何せ、ぶどう畑が一瞬しか出てこなかった。
さらにぶどう作りが一瞬も出てこなかった。
悲しい。

『素粒子』ミシェル・ウェルベック(点数なし)
挫折。何となく興が乗らなくて。ウェルベックは前に読んで、楽しい読書にはならないことが解っていたので。

『家庭の医学』レベッカ・ブラウン(60点)
前々から読みたかった作家だけど、少し毛色の違う作品だったみたい。

『リヴァトン館』ケイト・モートン(70点)
ゴシック・ロマン。戦争の影が忍び寄るイギリスの旧家。そこに暮らす貴族と執事とメイド。タイトルと装丁から抱く期待を、まったく裏切らない一冊。ただ、少々演出過剰。勿体つけすぎ、ほのめかしすぎな感じ。「実は…」と明かされる秘密が、とっくに察しのついてることだったりして残念。
とは言え、映画になったら素敵だろうな。

『ファラゴ』ヤン・アペリ(75点)
フランスの、「高校生が選ぶゴンクール賞」なるものの受賞作(高校生がこれを選ぶって凄いね)。言ってしまえば人生讃歌、まさにホイットマン風のそれなんだけど、俺は俺だ、生きるぞ万歳、的な身も蓋もないベクトルの周囲に絡まるエピソードのひとつひとつ、そして主人公を取り巻く人々のひとりひとりが、忘れ難く胸に残る(食料品店の賢者ファウストーを筆頭に、ゴミ捨て場で暮らす隠遁者デュークとか、結構いいかげんで俗物な二代目牧師とか。女性陣がもう少ししっかりしてるとなお良かったんだけど)。
これも映画になったら素敵だろうな。監督はもちろん、エミール・クストリッツァで決まりでしょう!

『透明な対象』ナボコフ(70点)
ナボコフ、これで三作めだけど三作とも同じ結末。思想や文体は無条件に好きなのだけど、仕掛けとか読み解く以前に、余韻が重すぎる。そろそろやめよう、ナボコフ探求。

『小鳥たち』アナイス・ニン(40点)
短編集なのだけど、表題作が単なる変質者の話としか思えなくて、残念ながら他の作品は読まずじまい。著者自身が「お金のために書いたもの」と公言しているので、まあ仕方ないか。

『小鳥はいつ歌を歌う』ドミニク・メナール(80点)
とても、とてもパセティックな物語。
読み終えた翌朝、無口で目をきらきらさせた小さな女の子と遊んだ夢を見た、と思って目が覚めたのだけど、それはこの物語の読後感だったらしい。
幼くしてまったく口を利かなくなった娘アンナのために、母である「私」は、名前や住所や好きな食べ物を書き留めた紙を娘の服のあちこちに縫いつける(もしも迷子になったら、話せないアンナは二度と帰れない)。普通の学校に通うことができなくなったアンナを、耳の聞こえない子どもたちのための学校へ連れてゆく。そして、そこでこの母娘と対面した教師メルランは、アンナをめぐるやり取りを通して「私」に読み書きができないことに気づく。
言葉を拒絶し、外への扉を閉ざして生きてきた母と娘。メルランはアンナの扉を開く術を知っている。アンナだけでなく、「私」の扉を開く術をも。
アンナはメルランを慕い、手話を覚え、他の子どもたちと友達になる。けれど、「私」にはどうしても、「外の世界」を受け入れることができない。アンナの変化/成長に対しても、喜びより不安と戸惑いを覚える。
アンナが声の代わりに、そしておそらくは発声の訓練のためにメルランから与えられたホイッスルの音に、「私」はパニックの発作を起こす。ホイッスルを取り上げられたアンナは静かで劇的な反抗を見せるのだが、それでも、再び扉を閉ざして海辺へ逃げる母の手を振り払うことはせず、「私」に連れられて町を離れる。
私が「私」なら、と私は思う、そこで逃げはしないだろう、と。
けれど、「私」の言葉への敵意と世界への恐怖は、一族の歴史、特に祖父の記憶に根差したものなのだ。そのことを理解できなければ、この物語は単なる「身勝手な母親の自己憐憫の物語」で終わってしまう。
原題は「le historie」つまり「歴史」。『小鳥はいつ歌を歌う』という邦題は、よく考えられた素敵なタイトルだと思う。けれども少し、ほんの少しだけ、物語をセンチメンタルに上滑りさせてしまっているのではないだろうか。
読み終えて、デッドエンドでなかったことに安堵し、あらためて私は思う。「がんばれ、メルラン!」。今の世に魔法使いがいるとしたら、それはまさしく貴方だ、と。

『ふたりジャネット』テリー・ビッスン(70点)
うーん、あんまり覚えてない。面白かったんだけど。

他に読んだのは、ボリス・パステルナークの詩集『晴れよう時』とか、神林長平の雪風シリーズ『アンブロークン・アロー』とか(そっとしといて下さい。こういうの好きなんです。メイヴのプラモデル作りましたとも)、coccoの『ポロメリア』(意外と普通の女の子の日記だった)、パオロ・バチガルピ(変な名前)の『ねじまき少女』上巻とか。
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