la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
白と黒/そのどちらでもないもの
「僕たちは馬鹿だけれど、そこまで馬鹿なわけじゃない。」
(サミュエル・ベケット/うろ覚え、たぶんドゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス』に出てきた)


ドゥルーズを読みつつ、それとはほとんど無関係に、大阪市政に思いを馳せます(ついさっきまでクリスマスと年末年始についてのどうでもいい記事を書いていたのですが)。

さて私は大阪市民ではありませんが、もし過日の市長選の有権者であったなら、間違いなく橋下徹氏には反対票を投じたでしょう。確かに彼の言論は、間違っている、という反論を許さない強さと合理性とを備えています。彼が従来の政治に向けるすべての批判はまさに正鵠を得ていますし、何より巨額の財政赤字という事実がそれを裏付けています。現実にひどい赤字なのだから改めなければならない、無駄をなくし、怠惰な輩を排除し、合理化を進めなければならない。それを「間違っている」と言うのは、まさに至難の業でしょう。

けれど、「何かがおかしい」のです。

橋下氏と大阪維新の会、彼らの信念はビジネスの、「企業」のそれなのではないかと思うのです。企業においてはもちろん、「利益」を生み出すことが至上命令です。もちろん政治も資金あってのものなので赤字は危惧すべきものですが、それでも、政治の至上命令は企業のそれとは違うはずです。

ポリティクスとビジネスとは、決して同じ目的や同じ理念を共有するものではない。だから、ビジネスにおける定石を、そっくり政治に適用すべきではない。
そう思うのです。

政治の至上命令は、ここまで書いて何なのかちょっと断言できかねる自分も情けないのですが、少なくとも憲法は我々国民に、健康的であるばかりか文化的であることさえも「法的に守られた権利」として保証しています。
けれど、今の政治は、赤字を理由にしてかどうかは解りませんが、まるでそんなこと一顧だにしていないように思うのです。
法を左右する力を持つという意味で、政治は法律の上位にあり、倫理的な縛りという意味で、法律は企業の上位にあります。その政治に企業の利潤追求のノウハウを用いて、果たして政治のありかたは「より良く」なるのでしょうか(同じことが与党/野党のごたごたにも言えて、今はどこが政権をとるとか誰が首相になるとかそういう争いをしている場合じゃなくて、東日本大震災は過去の災厄ではなく現在進行形の問題なのだということの危機感を、何党だろうと自覚し真摯に向き合うべき時なのじゃないか)。

彼らの掲げる無機的で冷徹な「真実」。それは、正しい言論ではあるかもしれない。けれど、決して万民の幸福を願うものではない。

小泉純一郎、石原慎太郎、そして橋下徹。
批判にも動じない強いリーダーシップを持った政治家たち。
けれど彼らの才能は、政治家としてのではなく、実業家としてのそれなのではないかと、ふと思いました。
そして、そういう人物を政治のトップに望むということは、自分たちの主体性や決断力のなさを言明しているのと同じことなのではないかと。

人が誰かを頼るのは、自分ではどうしていいか解らない時です。
そんな時、誰かが「ここではないどこか」へ、有無を言わせず引っぱっていってくれることを人は望みます。引っぱられていく先がどこかということを、多少なりとも憂慮したりはしません。もしそこが思っていたほど楽しい場所ではなかったとしても、その時は、勝手に自分をそこへ引っぱっていった当の「リーダー」を責めれば済む話なので…。

確信犯的責任放棄。
彼を市長に選んだ大阪市民が取ったのは、そういう態度なのじゃないかと思います。
なまじ怜悧な頭脳を持つ他者にすっかり選択を委ねることの危険を、あらためて考えさせられます。
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