la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
世界の終わりと黄金(きん)のまどろみ
「すぐれた教養は、テーブルクロスの上にソースをこぼさないという点にあるのではなく、もしだれかがこぼしても知らないふりをするという点にあるんです」
(『中二階のある家』アントン・チェーホフ)

昔は解らなかった。
チェーホフの作品なんて全然。

『桜の園』では嘆いてばかりの人たちに苛々し、『かもめ』はいまいちピンと来なくて、『可愛い女』は何故かタイトルに苛々し、それでもたまに思い出したように戯曲や短編を読んできたのは何故だろう?

昼下がりの金色の光に包まれて、人々の記憶や夢想を巻き込みながらゆっくり進んでゆくカタストロフィ。世界の終わりがこんなふうであればいい、と、今の私はチェーホフを読みながら思う。世界の終わりが漠然としたままで訪れ、生々しい恐怖や痛みと無縁であればいいと。

それぞれの痛切な祈りと、微かな諦めが抱くもっと微かな希望と。
世界はそんなものに満ちていて、私はつい泣いてしまう。
私の涙には何の価値もないのだと、解ってはいるのだけれど。
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≪この記事へのコメント≫
「ミシュス、君は今、どこにいるのだろう?」
俺はこの作品、好きです。
「私の涙」に価値がないなら、風景画にも価値がない事に!
世の人全てがリーダみたいならば、俺もさっさとペテルブルグに移り住みます。
2011/11/18(金) 00:29:40 | URL | pac #-[ 編集]
ミシュス…あ、訳が違うんですね。
私の読んだ版では「ミシューシ」となっていました。
この最後の一文にやられてしまいました。
しかし、風景画の価値が私には今いちわかりません(汗)
2011/11/20(日) 19:32:18 | URL | サト #-[ 編集]
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