la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
ハナシクイの食卓

「2のパンに3のパティをのせて(好みでケチャップをつける)はさむ。」
(おおつぼほまれ『ハッピーサンドイッチ』)

ハナシクイ。
鼻獅喰い、伝説上の生き物(鵺みたいな)の名前…ではなく、ハナ・シクイ、中東のとある女性の名前…でもなく、ハナ=シ=クイ、遊牧民自治区にある小さな町(定住している人もいる)の名前…でもない。

されど空想は楽しく果てしなく、私の中では砂塵と煉瓦と白茶けたテントからなる砂漠の町ハナ=シ=クイの物語がみるみる膨張してゆく。

まあその物語はさておいて、実はハナシクイは「話食い」で、一般的に大阪弁で「他人の話にすぐとびつく人」というような意味らしい(他人の話に割り込んでくる人、という説もある)。「阿呆の話食い」という諺(?)は、「愚か者は人の話をきくと、自分の力量も考えずすぐに実行したがる」、つまり、誰かが金鉱を掘りあてたと聞くといきなりつるはしを担いで家を飛び出すような人のことを言うのだろう(いつの時代の喩えだ)。

その意味で言えば、私は「話食い」ではない。けれど、私は今の今まで「食べ物の話を聞くとどうしてもそれが食べたくなってしまうこと」を「話食い」と呼ぶのだと思い込んでいた(それ故の今回のタイトル)。

きのう職場の人が、サンドイッチの本を貸してくれたのだ。載っている百数十種のレシピがこれすべてサンドイッチという、私にとってはミシュランガイドやギィ・ド・アシェットよりも魅惑的な本。

パン好きの私は、当然ながらサンドイッチ好きだ。それも、目の詰まったドイツ系の黒パンを薄く切って豚肉のパテとピクルスを挟むとかいう、マニアックなやつがいちばん好きだ(おまけにピクルスの銘柄については「マイユは酸味が強すぎるしヘングステンベルクは甘すぎるので、絶対にキューネでなくてはならない」などと呆れるほどの我儘ぶりを発揮する)。

著者はかつてニューヨークに住んでいたそうで、載っているのはヨーロッパ系のサンドイッチよりアメリカ系のホットドッグやハンバーガーがメイン。これがまた、美味しそうなのだ。

うっとりと写真を眺め(こんなに高さのあるハンバーガーどうやって食べるんだろう)、小説を読むようにしてレシピを熟読する(最後は必ずハッピーエンド)。
これはもう今日の夕食はハンバーガーしかないだろう、と思い、むかし村上春樹のレシピに載っていた「まともなハンバーガー」をこの本のレシピを借りて再び作るべく(村上春樹は苦手だけど、「まともなハンバーガー」だけはそのネーミングに込められた皮肉ともども私のお気に入り)、買い物に出掛けた。

スーパーにもパン屋にもハンバーガーバンズが売ってないことに憤慨し(けしからぬ)、結局パスコの「超熟ロール」で代用することにして(薄甘いヘタなバンズよりはむしろましか)、黄色いフレンチマスタードを買うべきか否か思案してやめ(うちにある粒マスタードで良かろう)、ピクルスはヘングステンベルクしか置いてなかったので断固として拒み、挽肉とトマトとアボカドを買い求め、うちに帰って「まともなハンバーガー」を作って食べた。

特に「料理をした」と言えるほどのことはしていない。挽肉のパティを焼き、野菜を洗って切り、パンに挟んだだけだ。

それが実に、実に、美味かった。
それが、ハナシクイの食卓の物語。

追記、砂漠の町ハナ=シ=クイの物語には、また別の食卓が登場する。遊牧生活に憧れる定住民の少女と定住生活を夢見る遊牧民の少年(二人は縁戚関係にあり、その掛け離れた魂とは裏腹に驚くほど良く似た外見を持っている)が互いの人生を取り替えることを決めた、その運命的な夜の食事。干肉を香辛料で煮込んだスープ、ピタかナンに似た平焼きパン、家畜の乳で作ったクセの強いチーズ、交易によってもたらされる僅かばかりの果物。
そして少年は絨毯や織物を扱う少女の家へ、少女は砂漠を渡り歩く少年のキャラバンへ「帰る」。

書かれることのない物語の可能性は無限だ。願わくは、彼らの一生が満ち足りた結末を迎えんことを…。
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