la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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テレビの地平と美食の基準
「しかし暗号を聞いたからといって、われわれが平安に達しうるわけではない。」
(『哲学の学校』カール・ヤスパース)

私の部屋にはテレビがない。

それはつまり、私のうちにはテレビがない、ということだ。

地デジ対応が間に合わなかったとか、NHKの受信料を払いたくないとか、そういうわけではない。
マクドナルドが嫌いなのと同じレベルで、私はテレビが嫌いなのだ(第一にうるさい。第二にくだらない。第三に嘘くさい…1957年にテレビを「『一億総白痴化』運動」と評した大宅壮一に、2011年の私は無条件に賛同する)。

「テレビを持っていない」と言うと、決まって驚かれる。もしくは気の毒そうな顔をされる。近しい友人なら「さもありなん」と思ってくれるのだけど、他の人たちは地雷を踏んだか三葉虫の化石を発見したか、というようなリアクションをする(それが楽しくてわざと言いふらしているくらいだ)。

先日は美容師さんに、「えっ…じゃあ普段、家で何してるんですか?」と訊かれた。うーむ、テレビを観るよりは有意義に過ごしてるつもりだけど、こうもストレートに訊かれると自信がなくなってしまう。

でも。
テレビのない生活を始めてもう数年が経つけれど、実家にいた頃から自分でテレビをつけることはほとんどなかったし、今も「こんな時テレビがあったら…」と思うことは年に一度あるかないかだ。それもほぼ100%、そろそろF1開幕戦じゃないか? そろそろF1ベルギーGPじゃないか? というだけのこと。しかも私がF1に夢中だったのは大学時代で、今ではチームもドライバーもよく知らないし、大好きだったホッケンハイムのロング・ストレート(マシントラブルや事故が多発して「悪魔が棲む」と言われていたコース。深い森を切り裂いてまっすぐ伸びた道をエンジン音を響かせて駆け抜ける赤いフェラーリの美しかったこと!)が改修されて無くなってしまってからは、9割がた熱は冷めている。

たまに余所でテレビを見る機会はあるけれど、最近おもしろいと思ったのはヨーロッパの大聖堂の建築を現代の技術で分析するという、フランスが制作したドキュメンタリー番組くらいだ。

何が面白くて、何を求めて、人はテレビをつけるのだろう。情報? おそらくイエス、けれどリテラシーを伴わないメディア受容は白痴化を促進するだけだ。孤独と静寂に対するアレルギー反応? 完全にイエス…テレビ番組の予告をテレビで見て、そのテレビ番組をテレビで見て、そのテレビ番組の総集編をテレビで見て。哀れな人たち。

私とて、世間に完全に背を向けるつもりはない(そんな恵まれた立場にはいない)。震災と原発事故、そこからの復興の試み、9.11のテロから10年が経ったこと、世界的な財政危機や日本の新内閣の動向。

気になることは山ほどある。知りたい情報も山ほどある。
けれど、テレビは、決してそんな欲求を満たしてはくれないのだ。

私の求める美味しさがマクドナルドにないのと同じレベルで、私の求める情報は、テレビにはない。

脚色や誇張といったことより、今は「隠蔽」という怖さを感じる。必死で隠すというよりは「敢えて触れずにおく」というスタンスの「隠蔽」。

たとえば近ごろ外国人向けの食品スーパーでは、すべての商品に放射性物質の測定値が記載されているのだそうだ。でも、幾らテレビを見ていても、そんな事実は語られない(たぶん)。

これは憶測に過ぎないけれど、もし事故が中国や北朝鮮で起こったものだったら、日本のマスコミはもっとヒステリックに騒いだのじゃないだろうか…。

それから「最近の若者」について、数年前は「根拠のないプライドだけが先行していて扱いにくい」と感じていたのが「素直すぎて気持ちが悪い」と思うようになった。私としては素直すぎる若者よりは扱いにくいくらいの若者の方が相手をしていて楽しいのだけど、ただでさえ主体性がないと言われがちな日本人のこと、最近の不況や災害で叩きのめされて完全に主体性を失ってしまうのではないかと、不安になったりする。

ま、年寄り(?)の杞憂に過ぎないなら、それに越したことはないけど。

でも、「がんばろう日本」て…。
私としては、非・被災地の人間には「がんばらないで、辛いときは人に甘えることも委ねることも大事だし、泣きたいときは泣いて、弱音もいっぱい吐いて」と言えるくらいの力があればいいのにと、切実に思う(腑抜けの私には、人に向かって「がんばれ」なんてとても言えない。まして「がんばろう」なんて連帯を促すこともできない)。

何だかうまくまとまらなかったけど、本当は「美味しさ」について語りたかったのだ。
「予告すると書けなくなる」ジンクスを無視して、そちらは次の機会に譲ります…今日のところはこの辺で。

おやすみなさい。
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Comment
≪この記事へのコメント≫
英語のリスニング鍛練の為にひたすら海外テレビ番組を第二音声で見ている人間もいる。
食事中にも学習したいので、録画しておいた学術系テレビ番組を流しながら夕食をとる人間もいる。
海外に行く財力あるいは行動力がないので、ひたすら紀行系番組を見漁る人間もいる。スポーツの中継番組も然り。
哀れな事である。

他に励ましの語彙を持たない無教養な人々が、烏合の衆への依存的な愛と不器用な善意と熱意から、単純に衝動的に「頑張れ」と発してしまう例は実に多い。
大衆とはそういうものである。しかし真心がないわけではない。
それが負担になるというのだから、善意があればあるほど哀れな事である。
結だの和だの恕だの、すべて民俗の化石なのだ。
2011/09/16(金) 14:54:29 | URL | W #-[ 編集]
Wさん、コメントありがとうございます。
リアクションが遅くてすみません。コメントのお返事は近日中に本文にて。
取り急ぎご挨拶まで…。
2011/09/22(木) 22:28:30 | URL | サト #-[ 編集]
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