la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
哲学者たちの肖像
「誰が誰に対して戦っているのか? われわれは、すべての人々に対立するすべての人々と戦っているのです。」
(桜井哲夫『フーコー 知と権力』より、ミシェル・フーコーの言葉)

哲学というものは、考えても解るはずのないことをぐだぐだ考え続ける学問だと思っていた。

「私とは何か?」とか。
「人間とは何か?」とか。

神学と同じ、証明不可能な「真実」を、難解な用語を連ねて語る分野だと思っていた。

けれど、違う。

哲学はあくまでも生きるための問いであって、真実ではなく現実を問い続ける学問なのだ。

哲学者たちは、ひたすらに問う。問いへの答えは新たな問いを生む。彼らの脳は、無数の「何故」を追う終わりのない旅をしているのだ。

私とは何か、を問う時、そこで追われる「何故」は自己の内部にある。だが近代以降、内部は外部なしにはあり得ないということが、ようやく説かれるようになった。

そうして社会へ、歴史へ、科学へ、彼らの脳は開かれてゆく。私とは何かを問い続けることは、私を作り、規定し、保護し、或いは攻撃する、この外部を問うことに繋がってゆく。

近代的主体という幸福な幻想が否定されたことは、外部への問いの本格的な始まりだった。
哲学は神と決別し、真実を求めることをやめた。人間を解体し、概念を解体し、やがていっそう貪欲に、「この現実」を解体し始めた。

ミシェル・フーコーは、そういう時代の幕を開けたのだ。

と思うよ。
よう知らんけど。

哲学ってすごいね。



さて、私が読み始めたのは「現代思想の冒険者たち」と題された講談社のシリーズで、『フーコー 知と権力』はその一冊。退屈な入門書でも難解な論文でもなく、フーコーの人生を追いながら、内部と外部をきっちりリンクさせて読ませてくれる本だ。

哲学関係の本はたいてい途中で嫌になって放り出す私だけれど、この本は面白くて二、三日で読了。フーコーについての断片的なイメージが、ようやくひとつに繋がった感じ。

余談だけれどフーコーに関係の深い哲学者たちの写真も載っていて、皆それぞれ、思想の表れのような風貌をしているのが楽しかった。ニーチェはニーチェっぽいし、ラカンもラカンっぽい。個人的にはジョルジュ・カンギレムが好きだな、優しそうだし。

さて、次はドゥルーズ? ベンヤミン? アドルノ?
このごろ堕落の一途をたどっていた私の脳を、少し、撹拌してみようと思う。
うーん、やっぱりアドルノかな。
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Comment
≪この記事へのコメント≫
物理学も突き詰めれば哲学風味になるんで面白いですよぉ。
例えばシュレーディンガーの猫の例えで有名な、量子力学の観測理論とか。
良かったら試してみて下さい。
脳ミソがまんべんなく攪拌されますよ。
2011/01/30(日) 22:44:58 | URL | pac #-[ 編集]
実家の母のPC「らくらくパソコン」(ワープロ風味のシルバー向けパソコン)から。

量子力学、かなり興味あります…。
でも脳が撹拌されすぎて豆腐みたいになりそうな予感がします。
まぁシュレディンガーの猫の話もよく解ってなくて、「ああ、あの半分死んでて半分生きてる猫?」とか「小倉千加子のなら読んだよ」とか言ってしまいがちなので、既に豆腐なのかもしれませんが…。
2011/02/13(日) 15:46:49 | URL | サト #-[ 編集]
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