さて、今年もボジョレー・ヌーヴォーの解禁日がやって来ました。
ってもう三日前だけど。
今年はスクリューキャップのハーフボトル。賛否は分かれるけど、私はスクリューキャップが好きだ(千円アンダーのワインが樹脂コルクだとかなり腹立たしい。お気に入りのSEKIのソムリエナイフで緑色のコルクなんか抜きたくない!)。
もとい。ヌーヴォーの話。
グラスに注ぐといつもながら見事なくらいのチューインガム香。過剰な媚びを含んだフルーティな飲み口に、あー、ヌーヴォーだ。と気の抜けた納得感。少し化粧品的なフローラルさを感じたのは今年が初めてで、気のせいなのか何なのか。
収穫感謝の気持ちが全然湧いて来なくて、パッとしない解禁日だった。
数年前まではフリーランだのノンフィルターだのといった謳い文句に気を引かれて色々な造り手のを試していたけれど、「その年のガメイを11月の第三木曜日までに何とか飲めるものに仕立てる」という条件下では、どうしたって方向性は同じになる(決して味が同じになるわけではないけど)。
だからヌーヴォーに対しては既に品質や価値を問うことはやめている(買うことはやめない)のだけど、でもこの方向性、これで合ってるのだろうか?
追記、画像は解禁日の買い物。勤務先の新店でチーズだオリーブだトマト缶だ豆缶だとあれこれ買い込み、ついでにドリアンチップスも三袋追加(大好き)。
しかし、輸入食品はレジで肝を冷やすことが多い(大抵、予想した金額の倍くらい払うことになる)。
この日も散財。
あーあ。
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