la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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致死量の読書、妥協と忍耐の境界で
「もしどんな生き生きとした我有化も不可能だとすれば、普遍的規則は、自由と個別性を犠牲にして無関心な外部から押しつけられた、致死的なもの、苦しみとして経験されうることになるだろう。」
(『自分自身を説明すること 倫理的暴力の批判』ジュディス・バトラー)


忍従の日々のバックラッシュ。

熟読は服毒に似て。

難易度という意味では私には荷が重い本だけれど、ジュディス・バトラーは昔から読んでみたかったのだ。キルケゴールやフーコーら、比較的馴染みのある顔ぶれも登場する。主題として取り上げられているアドルノも、まったく見ず知らずというわけではない(あの頭の良すぎるひねくれ者!)。

自分の今いる場所をしっかり見据えながら、現実の制約を見失うことのないように、気をつけて読み進めよう。

緩慢な崩壊を待つよりはひと思いに破壊してしまった方がいい、と、持ち前の臆病さがこれまた持ち前の反骨精神によって思いがけない原動力となる兆しが、なくもない。

光の中を歩くということに、私は少し苦痛を感じ始めているのだ。影を、憂いを、痛みや苦しみや悲しみを、光に晒したままで歩くのは辛い。

けれど、短気を起こしてはいけない、とも思う。

なかなかに予断を許さない本だ。「要、経過観察」。そんなところだろうか。
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