la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
私は踊りながらは食べない(仮題)
「神がわれわれを放浪から守り、不安を取り除き賜わんことを。」
(『美食の歓び』キュルノンスキー&ガストン・ドリース)

引用したのは、秋が近づくにつれ募る放浪への憧れについて、ではなく。

第一次大戦後のアメリカにおけるレストランの惨状(「ここでは踊りながらおいしい食事が食べられます」)を嘆く、フランスの美食家の言葉。

もちろん、著者の恐ろしい想像(「腕先きにポタージュをぶらさげ、大野兎の煮込みロワイヤル風を頭の上に載せ、鵞鳥の脂漬け(ワタシ注、コンフィのことだと思う)を脇の下に抱きかかえ、…」)は冗談として。

ここで美食家が嘆いているのは、ダンスフロア併設のレストラン、という発想そのものだ。曰く、食堂楽は一種の選り抜きのスポーツであって、他の種目と同時にやることはできない。飲み食いの楽しみに調和させ得るのは唯一、控えめな会話だけ。

美食家とまでは言わないけれど、私もまた、食事についてはキュルノンスキー(と彼の共著者)と同意見だ。ごはんを食べるときは、他のことはしない。ただ一人で食べることがほとんどなので、「飲み食いの楽しみに調和させ得るのは」控えめな音楽だけだと思う。

テレマンの「ターフェル・ムジーク(食卓の音楽)」?いや、これは出だしがちょいと厳かなので(貴族の晩餐の幕開けといった風情)、も少し明るい室内楽を。

食べることは、生きることだ。食べることは、自分を作ることだ。

大仰なご馳走は必要ない。ただ、身の丈に合った作りたての食事を楽しむことが美食なのだ。

たとえば第三章に出てくる「黄金色の揚げじゃがいも」。どんなに素晴らしい音楽をかけていても、たぶん、その一皿を前にした私は既に聴いてはいないだろう。

バッハもモーツァルトも、揚げじゃがいもには勝てない。

もし揚げじゃがいもから私の注意を逸らす音楽があったとしたら、私はそれを極めて腹立たしく聴くことだろう。

KUR.(キュルノンスキーの署名)
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