la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
サイバースペース・オデッセイ
「わたしは違ったものになろうと思います。あなたたちとも、誰とも。」
(『Self-Reference ENGINE』円城塔)

ゼロ年代。
いわゆる、2000年代に活躍し始めた作家たち。

円城塔は、その「ゼロ年代」を代表する作家の一人、なのだそうだ。

新しい作家の本はあまり読まない私だけれど、「一応、読んでおかねば」という義務感に駆られて、たまに手を出す。

その手の試みは九割の確率で「ガッカリ」という結果になるのだけど、この円城塔に関して言えば、「九割には入らないけど残りの一割にも入らない」という、極めて円城塔的な結果だった。

言い換えれば、私は円城塔の九割にはガッカリした。理論でお手玉をするその手つきは確かに鮮やかだ、でもそれは別に、文学の仕事ではないと思うのだ(細かいことを偉そうに言えば、同語反復を徹底して忌避するその潔癖さが、文章をいびつにしていて気に障る)。

でも、残りの一割があるのだ。私はそこに、とても文学的な力を感じた。

その一割とは何か。
リタだ。

また外れ籤を引いたな、と思いながら、なかなか物珍しくはあるけれど結局は「どうでもいい」小説を、残務整理のように読み進んでいたのだけど。

17番目のパラグラフ、『Infinity』で、ようやく、感情が動いた。

定理も命題もロジックも言葉遊びも理屈も屁理屈も、この作家が書けばそれなりに面白いには違いない。でも、読み手の感情を動かすのは、もっと他の何かだ。

エンジン。
駆動体。

リタのように、というのは何も、奇矯だということではなく。
目の前の問いに向き合い、思考し、突き詰め、結論のその先を追い求めること。

そうして、自分の足で立つことと、それを選べる強さと。

おそるおそる著者の略歴に目をやって、自分より歳上だということに少々安堵する。

まだ、世代は空虚ではない。
現代は空虚ではない。

この本を読み終えて、私は大袈裟にそう判断した。「近頃の若者は…」という述懐にシンパシィを感じ始めている私としては、辛うじて、という前置きは避けられないけれど。

円城塔、たぶん、私はまた読むだろう。色んな鎧によろわれたそのコアの部分に、少し期待している。


…追記、やっぱり次は伊藤計劃を読むべき? 義務感はひしひし感じるのだけど、『虐殺器官』て、タイトルが余りにも私向けじゃないんですが…読んでも悪夢見ないかなぁ。
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