la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
魂の領域を語ること
「自分はほかの人より劣っているという考えは、彼が知り得たなかで誇りの表し方としては最悪なものである。なぜなら人と違う人間になるために、これ以上破壊的な方法はないからだ。」
(『ブリーダ』パウロ・コエーリョ)

魔女になろうとしている21歳のブリーダと、物理を学んでいるその恋人ローレンス。ブリーダの師となった「月の伝説」の魔女ウィッカと、互いに宿命の恋人同士でないと知りながら彼女と恋仲にあった「太陽の伝説」の魔術師。

他には「その他」しか出て来ない(ブリーダと儀式を共有する二人の女性も、ほとんど描写されない)物語。それどころかブリーダの恋人ローレンスでさえ、存在が希薄だ。

コエーリョの書く物語は、いつも寓話的だ。いや、たぶん寓話そのものなのだろう。この『ブリーダ』に出てくる人物も、具体的な一個人、という感じが全然しない。どこか、影絵芝居か人形劇の人形のようなのだ。

その印象が馴染んでいるのはただ一人、名前を持たない魔術師だけで。

けれども、そのこと自体は、私とこの作家を隔てはしない。少なくともこの『ブリーダ』を読むまではそうだった。

いわく、魂は輪廻する、ただし世界の始まりから今の人間の数だけ魂があったわけではなく、生まれ変わる時に分裂する魂があるのだと。

魂は、分裂するときは必ず男と女に分かれる。それが「分身」であり、生涯かけて自分の分身を探すのが人間の責任なのだと。

ここで、私はコエーリョを「もう読まない」作家に分類してしまった。

魂を精神とは別の次元に置き、そのありかたの「正しさ」を語る文学を、私はどうしても受容できない。それは、己には知り得ないことを裁こうとする行為だからだ。

性別とその特性を固定化する思想にも共鳴できない。魂が分裂する時は必ず男女に分かれる? それが「分身」で「運命の恋人」?

たとえ私の魂なるものが生まれ変わるとしても、今の記憶がないのならそれは他人と同じだ。今の私がこんなふうであることの根拠や責任を、前世に求めようとも思わない。自分の魂の救済のために善行を積むのも嫌だ(それは単なるエゴだと思う。別の動機でなら私は喜んで善行を積む)。

私はただ、今この生の、より良い在りかたを模索するだけ。

もちろん『ブリーダ』にも、そのための指標となる言葉が見つからなかったわけではない。引用したのもそんな言葉のひとつ。だから、読んだことを後悔してはいない。

半年ほど前、スピリチュアル系の啓発書のようなものを人から借りた(貸された)ことがある。感想を訊かれて私はこう答えた。「思想書としては受け付けないけど、実用書としては参考になる」。それと同じだ(ちなみに私はテグジュペリの『人間の土地』を貸したけど、難しくて読めないと言われた)。

さよなら、パウロ・コエーリョ。


追記。物語の舞台が何故アイルランドなのかが腑に落ちない(ジョイスやイェイツを無理なく引用するため?)。ブリーダもウィッカも南米の女性として、或いはいっそ舞台を特定せずに描いた方が、よほど全体が違和感なく生き生きしただろうに…。
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