la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
デストピアまで何マイル?
「(日本では)ニヒリズムが現実への反逆よりもむしろ順応として機能することが少なくない。(中略)たとえば世界は不条理だという命題は、世はままならぬもの、という形で庶民の昔からの常識になっている。」
(『日本の思想』丸山真男)

村上春樹の『1Q84』。
非常に不愉快。

オーウェルの『1984』は私にとって、ブラッドベリの『華氏451度』と双壁を成すデストピア小説だ。世界の確かな手触り(つまり現実)と、抑圧と恐怖と闘争(そして理想)を描いた物語だ。

そんな場所に、この『1Q84』はとても並べられない(実家の母は「アイキュー八十四て、アタマ悪い人の話?」とのたまった。ウケた)。

今回引用したのは、たまたま再読していた丸山真男の『日本の思想』。そうか、と思った。村上春樹のスタンスは、まさにこの「反逆ではなく順応として機能するニヒリズム」なのだ、と。

村上春樹の小説は、とにかくいつも曖昧だ。曖昧な現実と曖昧な非現実とは、どう交錯したところで何も生み出しはしない(何故ならすべてが曖昧だから)。曖昧な世界には曖昧な意識しか生まれず、登場人物たちはただその曖昧さに身を委ねたまま、何もしようとしない。

青豆も天吾も、何をそんなに物分かり良く諦めているの?

反逆ではなく順応として機能するニヒリズム。
怖い怖い。
かつて村上春樹の小説を「ソフトなナショナリズムだ」と評した島田雅彦に、あらためて、拍手(最近この人は何をしてるのだろう? 初期の短編は下品なりに明晰で好きだったなぁ)。
追記。蛇足を承知でつけ加えるならこの『1Q84』、物語を云々する以前に文章がおかしい。散々いじくり回されてすっかり疲弊してしまったような生気のなさ、自動翻訳顔負けの会話文のぎこちなさ。果ては別の作家の本から切り抜いてきて貼ったような、唐突でまったく馴染んでいない比喩表現(確かにどこかで読んだ覚えがある)。

一体、何が面白くてこんなに売れるんだろうねぇ。
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