la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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二足歩行のためのリハビリテーション
驚くほどからっぽ。
何がって、自分が。
けれども、空白は満たされなければならないのだろうか?
箱の中には、何かが入っていなければならないのだろうか?

私がこれまでしてきたことは、からっぽの箱の中に10セントショップで見つけた貝殻や石膏のボールや雑誌の切り抜きを貼ったり並べたりすることだ。ジョゼフ・コーネルの技法。巧拙はともあれ、きっと目的も手段も同じなのだ。ただ、私には箱の中に物語を創り出すことはできない(コーネルはそれをやってのけたけれど)。だから、私は箱を見せるより、箱の中のがらくたをひとつずつ取り出して見せることを選んだ。

今、私は驚くほどからっぽだ。
何もない。
何かを創ろうとしてあれこれ集めて試しているうちに、自分が何を創ろうとしていたのか忘れてしまったような気持ち。思えばずっとそうだった。だから、語り始めるためにまず他者の言葉が必要だったのだ。

10セントショップのあれこれは、未だにひとつとして捨てられない、大切ながらくただ。
子供が拾い集める鳥の羽や海辺の小石と同じ。
これからも集め続けるだろうし、このブログでの引用も続けるだろう(いちおう読書記録としての機能もあるし)。

それでももう一度、歌うべき歌はあるのか、語るべき言葉はあるのか、自分に問い直そう。
誰かに必要とされることは、必ずしも生きることの根拠にはならない。ただし死ぬことの躊躇にはなる。なりすぎるほどなる。それはきっとありがたいことなのだろうけど、何かが根本的に違っているという感じがする。

だから、問いの正しい形はこうだ。
「私は何を必要とし、何を望み、何を歌い/語るのか?」

今のところ、からっぽである私は、何も必要としないし何も望まないし何も、歌いも語りもしない(それにしては饒舌だけれど)。

望まれる歌を歌うのか、望む歌を歌うのか。
望まれる言葉を語るのか、望む言葉を語るのか。

だから、正しい形の問いを繰り返そう。
私は何を必要とし、何を望み、何を歌い/語るのか?

からっぽの箱から鳩が出てくることは絶対にない。
けれども、からっぽであることにも、きっと何かの意味や理由があるのだろう。

こんな風にして私はいつも「出発点」に立ち続けている。
いつも、どこを目指しているのか解ったためしがない。
目的地がないから、歩くことが億劫なのだ。

今のところ私が必要としているのは悪夢のない眠り、ただそれだけ。
でも、どこかへ向かって歩き始めたいとは思うんだ。
だから今は、とりあえず、生きている。
きっと、誰かにそう望まれているからというだけではなく、自分でそう望んでいるからでもあるのだろう。
たぶんね。
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