la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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希望と絶望/翼のない天使と尻尾のない悪魔
「嘘とぎりぎりのところで均衡を保っている真実」
(『河岸忘日抄』堀江敏幸)


 待つこと。待ち続けること。それは常に、裏切られるかもしれないという恐怖と叶えられるはずだという期待との、危うい綱引きだ。それでいて自分から行動を起こすことをしないのは、意気地の無さというよりはむしろ、事柄の不可能性と己の無力を意味する・・・つまり、それが私の思う「絶望」ということ。

「チェーホフにはチェーホフの思想があったはずだが、イワン・イワーヌィチが表明している、待つことにたいする一種の恐怖感は、あれやこれやの具体的な行動ではなく、もっと抽象的で、心のなかの逃避と紙一重の、じつにきわどい欲望を意味するのではないか。」
 堀江敏幸はそう書く。丁寧に自分の思考をたどりながら、慎重に選び取った言葉を、込み入った文法の上に並べて。

堀江敏幸、という名前を私はフランス文学の翻訳者として認識していたので(そしてしょっちゅう柴田元幸と混同していたので)、小説を書いて何だかたくさん賞を取っている、と知った時もあんまり食指が動かなかった。『熊の敷石』を読んで面白いとは思ったのだけど、友人がこの『河岸忘日抄』を勧めてくれなければ、それ以上読むことはなかったかもしれない。

いかにも翻訳者らしい、きっちりと意味を突きつめて選択された言葉。異邦人としての自己と他者。観察と所見、心地良い思考のうねり。チェーホフ、タルコフスキー、メルヴィルetc…私が大学時代に初めて見出し、以来ずっと親しんできた風景の断片。

図書館で借りて、返して、そう言えば最後まで読んでなかったっけ、と思って数日前にまた借りて、でも読んでみたらやっぱり最後まで読んだ記憶はあって、でもとりとめのない独白に似た物語はまだ私の中で続いていて。

これは、欲しい本だ、と思った。

私は単行本を買うことは滅多にない。読んでみて気に入って装丁も良くて、ずっと傍に置いておきたいと思った本だけ買う。そういう読書生活をずっとしてきている(単に、お金があれば本より先にワインを買ってしまうからなのだけど。本は図書館で貸してくれるし古本屋さんもあるけど、ワインはそうはいかない)。

間違いなく、私は近いうちに『河岸忘日抄』を買うだろう。そして折に触れて読み返し、注意深く綴られたその言葉を、繰り返し呟くだろう。
追記。

いつかきっと、という根拠のない希望は私を疲弊させる。ここ数年で私はすっかり絶望というものと近しい間柄になったけれど、それでも希望の息の根を止めることが未だに出来ずにいる。私が待っているということ自体、彼/彼女には大して意味を持たないことで、彼/彼女は私を、捨てるという意識さえ持たずにきれいに忘れてしまうのだろう。それでも待たずにいられない。
希望は羽根をつけた生きものだと、エミリ・ディキンソンは言うけれど。
シェイクスピアは、絶望ほど甘やかなものはないと言う。『リチャード二世』だ。私は『三世』しか読んでいないので、それは多分、どこかで引用を読んだのだろうけど。
 とりあえず、私はいま、待っているということを時々忘れるくらいにはなった。それが時間というものの作用なのだろう、良くも悪くも。
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