la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
黒いカクテルの後味
「それもまた、次にすることを捜すために、世界を飛び回っている忙しい魂なのだ。」
(『砂漠の車輪、ぶらんこの月』ジョナサン・キャロル)


失明間際に「年齢を重ねてからの自分の姿を見ておきたい」と思いついた男、ノーマン・バイザー。彼は早速メイクアップ・アーティストとカメラマンを雇い、十年後、二十年後、三十年後…という想定で自分の姿を撮影させる。ところが、それらの写真を現像してみると…。

途中まで読んで、「何も写っていないか骸骨か何かが写っていたかのどちらかで、この短編はバイザーの死が近いことを暗示して終わるんだろうな」と思った。

それが裏切られたとき、私はやっと、ジョナサン・キャロルという作家を「面白い短編を書く作家」だと認識した(遅い)。

小説に関してだけ言えば、私は裏切られるのが大好きだ。世の中には裏切りの天才とも呼ぶべき作家がいて(例えばフレドリック・ブラウン)、このジョナサン・キャロルもまたそれに当たる。 ただしこの作家の裏切り方は、(ブラウンとは違って)決して派手などんでん返しではない。意表をつく着想で不意に「現実」の手触りを変えてしまうのだ。「指がなぜ五本なのか考えたことはあるか?」というような質問に、まったく想定外の解答が用意されている。

『砂漠の車輪、ぶらんこの月』というタイトルのイメージ通り、読後に残るのは静寂と孤独とそこに差す白い月明かり。ところが、巻末の桜庭一樹の解説に「これもまた、凶悪」と書かれていて驚いた。

「凶悪」? いったいこの短編のどこが? これはキャロルの短編の中ではかなりひっそりしたイメージで、二文字で表すなら「寂寥」だろうと思う。 バイザーの心にあるのは優しさと孤独(その故に、彼は他者との関わり方をすべて相手に委ねてしまっている)だ。何が「凶悪」なのか、さっぱり解らない。

数年前、コーネルの箱を見て嬉しそうに「シュールだ」と呟いた人をその瞬間に嫌いになったことを思い出す。

いや、仮にも直木賞作家たる桜庭一樹が「凶悪」だと言うのなら、もしかすると凶悪な何かがこの物語には含まれているのかもしれない。
けれど、私にはそれを読み取ることができない。
桜庭一樹の評にも、大声で異を唱えたい。

何故なら、この短編の最後の一文が、冒頭に引用したものだからだ。
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