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la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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いつかわたしがかえるところ
「わたしはもう女であることに弁解じみた態度をとらないと決めました。」
(チママンダ・ンゴズィ・アディーチェ/『男も女もみんなフェミニストでなきゃ』)

自分らしくあることの最大の困難は、「自分らしさとは何か」に気づくこと、次に、「その自分らしさと和解すること」だと思う。

私は昔から、フェミニンな服を着ていたほうが俄然、周囲の受けがいい。
可愛い、と言われる。
でも私はそれを、まるで喜べない。
可愛い、という言葉には、無害な・無力な・無邪気な・おバカな、といったイメージが、かなりはっきり表れているからだ。
そんなキャラクターが「モテ」て「愛され」る世界なんか、絶望的だとさえ思う。
そして、そう言ってみたときの「愛され」る、というのは明らかに「可愛がられる」「ちやほやされる」という意味合いで、残念ながら実際の「愛」とは何の関係もない。

ちなみに、私は自分のことをフェミニストだと思っている(厳密に言えば、性別というのは個々人を評価するためにはまったく不要な基準だと思っている。それが「フェミニズム」という思想と完全に合致するのかどうかは今でも自信がないけれど)。
それらしく性格や言動はかなり荒いほうで、それらしくなく、外見と性質はまったく女々しい(おんならしい、ではなく、めめしい。ちなみに私は女らしさは好きじゃないけど、めめしさは割りに好き。女らしい女は苦手だけど女々しい女は好き。女らしい男は苦手だけど女々しい男は好き)。
私はずっと、そのことを気にしていて、今でも気にし続けている。

若かりし頃の思い出。
フェミニズムの勉強会みたいなのに参加したいと思って出かけた時。
男子九割・女子一割、みたいな地味系サークルを見学に行った時。
どちらの場でも、私は女性陣からかなり露骨な敵意をぶつけられた。
前者の場合はたぶん、「可愛い女」と見做され、フェミニズムの敵、と思われたため。
後者の場合はたぶん、「可愛い女」と見做され、恋愛市場における敵、と思われたため。

実際の私が恋愛にもファッションにも興味がなく、「自分の食いぶちは自分で稼ぐ」というのを当然のことと捉え、ミシェル・フーコーを偏愛していて、酒飲みかつ煙草吸い、であっても。
他人はそんなことまで知ろうとはしてくれないのだ。
そんなにも、人は他人を外見で判断するのか。外見でしか判断しないのか。
そう思って、愕然とした。

そんなある時、ふと辺りを見回して、何だか皆、自分に似合った服を着てるんだな、ということに気づいた。
単に顔立ちと服装、というだけでなく、話しかたも笑いかたも立ち居振る舞いも、ぜんぶがしっくり「その人らしさ」に馴染んでいる。
(「個性的」と言われるような人でさえ、「個性的と言われる人がよくしているような恰好」をしている、というのはまた別の話か。)
私にはそれが、ひどく羨ましかった。
自分がどういうキャラクターで、どう見られたいのか、どういう人と仲良くなりたいのか、そういう事柄を、皆、「ぱっと見」で解るように発信している感じなのだ。
外見だけで判断されたくない、という言葉はそこにはもうなくて、手っ取り早く自分のことを知ってもらうために可視化した個性を身にまとっている、という印象。

他人の視線が苦手な私は、長らく外見や服装を「見られるもの」としてしかとらえてこなかった。
それが「見せる」ものでもあるのだ、と理解したのは、ごく最近のこと。

でも、私のぜんぶを見た目で表現しようとすると、うーん、突き詰めるとやっぱり(ガチでやったことはありませんが)、ゴスロリみたいなことになっちゃうのかな。
という、不可解、かつ、不明瞭、かつ不条理なところにしかたどりつかない。


そんで、本題(カヤック)はこちらです。
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