la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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リアリストの憂愁と文学/きっと誰でも誰かの魔女なんだ
「福島の最大の教訓は、原子力はどんな悲惨な事故を起こしても、だれも責任を負わないことです。」
(小出裕章氏)


自分が読んでいる小説のリアリティを問うことと、自分の生きるこの現実を疑うこととの間には、当たり前のことながら、決定的な相違がある。

昔の自分がその相違に気づいていなかった、というより好んで同一視していたことに、今の私は呆れると同時に微かな羨ましさのようなものも感じる。
登場人物の現実がその根底から揺らぐ、という物語を、私はどうやら昔のようには受容できなくなってしまったらしい。

自分の生きているこの現実が、確かに私にとって唯一の手触りのある現実であるということ。
胡蝶の夢にもシュレディンガーの猫にも、もう心惹かれることがないということ。
たぶん私は二進法に置き換えられてヴァーチャル空間で不老不死になったりはしないし、炎を吐くドラゴンがどこかの街を焼き尽くしたりはしない。
私の生きているこの現実では、街が破壊されるとしたらそれはドラゴンのせいではなく、天災か原発事故かテロか戦争のせいだ。

陳腐な表現を使えば、想像力の翼が委縮した、ということかもしれない(私はそのことを、多少は残念に思うけれども恥じはしない)。
それでもまだ読める本があり、楽しめる空想があることに、ひとまずは慰めを見出しておこう。

「魔法使いになりたい」という密かな夢は、「魔法使い」の定義がとてつもなく広義になったものの、今もずっと温め続けている。というよりきっと誰でも誰かの魔女ではあるんだろう、と思ったのは、梨木香歩の『西の魔女が死んだ』を読み終わってかなり経ったある夜のこと。何かとんでもないこと(たとえば猛獣の檻に入って行ってその猛獣と一緒に眠るとか、どこだかのカジノへ乗り込んで「オールイン」って言ってみるとか)をやってみたくなるような、捨て鉢というのとはまた違う、奇妙な張りつめた感覚に襲われて寝付けなかった夜のことだ。

誰でも誰かの魔女ではあるんだ、というその思いつきは、けれどいっそう無力感を煽ることにしかならなかった。誰にでもささやかな魔法は使えるということと、魔法の本質は本来そういうもの(ここで私の言っているのは主に詩や音楽や料理や、そういうもののこと)だということは、裏を返せば魔法は現実の脅威に対して無力だ、ということを意味してしまうのではないか?

もちろん、そんなささやかな魔法でも、使えるに越したことはない。それで誰かを少し笑わせたり、少し幸せな気持ちにしたりすることはできるのだから。

けれど相次ぐ地震や噴火のさなかに、同時進行でやれグレーゾーンだシーレーンだという議論に時を費やしている人たちがいる。それも国民の声など届かない場所で、たぶん、国民の声など届かないのを良いことに。野党の人たちの努力がやっと実を結んだのか、内閣の支持率が目に見えて(つまり朝日新聞でも毎日新聞でもなく、読売新聞の数字で)下がってきたことに私は浅い安堵を覚えるけれど、それでもまだ、遅い、と思う。
自衛隊が海外に行く相談をするよりも、今この国内にある「有事」(他国からの武力攻撃ではなく、東日本大震災と福島原発事故、敢えて加えるなら沖縄の基地問題、その他の地震や火山の噴火)に対処するのが第一の急務じゃないか。

「福島の事故があった日本こそ再生可能エネルギーへの転換に舵を切るのが当然なのに、なぜ原発再稼働に向けて動くのか」という問いが、日本ではなくドイツのジャーナリストから発せられる。
政府は電気料金の値上げを認めたうえで、「原発再稼働」を値下げの条件にする。
老朽化した原子炉の廃炉が決まっても、後始末の方法は「これから考える」という、どう控えめに言っても底抜けに無頓着かつ無責任な現状。
ああ、それでもまだ、原発を再稼働したがる人たちがいるのだ。
この期に及んで「原発は安全だ」と言い張り、何があっても決して責任を負おうとしない人たちが。

私は今も変わらず本を読み続けてはいるけれど、こんな日々の中で「どくしょきろく」なんて書く気にはとてもなれない。
読書の愉しみも、ささやかな魔法も、誰かの笑顔も、無為に思えてしまうのだ。

それらが決して無為でないことは、充分に解っているつもりなのに。
とかく非難されがちな、一見して牧歌的なそういう幸福こそが、「平和」ということのかけがえのない恩恵であり、人類の千鳥足の進歩の、唯一の甘い果実であるのに。
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リアリストの憂愁とその文学序説
屋根の上で猿が騒いでいる。
そんな夜更け。
猿も夜更かししたりするんだなあ。

こんな序説。

また近々更新予定です。
おやすみなさい。
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