la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
ただこの地球で生きること~基本のゆでたまご~
「肉も野菜も命があるもの。」
(季刊誌『Sommelier』131号より、ジビエを供するワインバー「ピエス橘町」店主の言葉)


何もする気になれなかった休日の終わり、五十嵐大介の漫画『リトル・フォレスト』を読む。

何もする気になれなかった自分を少し恥じて、夜の八時過ぎ、キッチンに立った。

卵を茹でて、殻をむいて。
卵は水から入れるのじゃなく、水が沸騰してから、お玉でそっと沈める。
ひび割れて中身がもろもろ出てくる可能性を恐れる場合は、お湯に酢を入れておく(私は加熱した酢の匂いが苦手なので入れない)。
最初の二分くらいは、黄身が偏らないように、ときどき鍋を傾けて転がしてやる。
鍋底に触れる卵のコトコトいう音を、それが茹で加減の参考になるわけではないけれど、ただ心地よいのでずっと聞く。
半熟なら、卵を入れて10分。
固ゆでなら、13分。
時間になったらお湯を空けて、流水をかけながら殻にひびを入れる。
薄い膜と白身のあいだに水を入れるイメージで、水の中で殻をむく。

これが基本のゆでたまご。
応用のゆでたまごとか、発展のゆでたまごとかは無いから、ただの「ゆでたまご」なんだけど。

『リトル・フォレスト』は、田舎の、農家の暮らしを描いた漫画だ。いや、ほとんど日々の「たべもの」を描いた漫画だ。田んぼや畑だけではなく、山や川での収穫を、どんな風に食べ、どんな風に加工し、どんな風に保存するか。蕗味噌やくるみごはん、山菜の天ぷらから、トマトの水煮やジャム、ヘーゼルナッツ(はしばみの実)とチョコレートのペースト「ヌテラ」なんかも作る。薪ストーブで焼いたバゲットと用水路に自生しているクレソンをたっぷり使ったサンドイッチが朝食だったりもする。

農業の大変さが大仰に描かれることはない。「リトル・フォレスト」の人々にとって、その暮らしかたはあまりにも長い間あまりにも当たり前に続けられてきたものだから、薪を割るのも堆肥をつくるのも胡桃を割るのも味噌を仕込むのも、どんなに手間のかかることでも事もなげに、息をするのと同じように、のんびりも急ぎもせずにやるのだ。

生きるために食べるのではなく、食べるために生きる暮らし。
私みたいなずぼら者に向かないのは解ってるけど、かなり、憧れはある。
本当は、生きることって、そういうものなんじゃないかと思うから。
食べるために生きる暮らしには、人間という生き物が何をどうやって食べ、何をどうやって食べられるようにし、何をどうやって食べ繋ぐか、という知識と技術が凝縮されていて、何故だか私はそういうことをこそもっと知りたい、試してみたい、身につけたい、という欲求を強く感じる。

脱サラして農業はじめる人たちも、ひょっとしてこんな気持ちなのかな。
それとも、ぜんぜん違っていたりもするのかな。

何もする気になれなかった夜の「ゆでたまご」は、鶏の手羽元と下茹でした大根と一緒に、醤油味で煮た。
おいしくなあれ、と呪文を唱えてみたけれど、翌日食べてみたらちょっと、味が薄かった。
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