la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
どこかで誰かが誰かのために
「一杯のコーヒーと口ずさむ歌/それが/生きる慰めとなるのだ」
(豊田徹也/『珈琲時間』)


どこかで誰かが誰かのために、コーヒーを淹れる。
それは自分のためであってもいい。
他の誰のためであってもいい。

どこかで誰かが誰かのために、歌をうたう。
それは自分のためであってもいい。
他の誰のためであってもいい。

でも、それを他の誰かと共有できるのなら、それ以上の幸せはない。
自分のために淹れるコーヒーが、誰かのためでもあるということ。
誰かのために淹れるコーヒーが、自分のためでもあるということ。

「君の拾い集めた言葉はちゃんと 君の歴史を語っているのかしら?」
(『Backseat』/santara)
たぶん、NO。
「バックミラーに映った過去」は、曖昧になるどころか、ますます鮮明になって現在を脅かす。
たぶん、私の拾い集めた言葉は、私の歴史ではなく私の現在を語っているのだ。
いつでも、そしていつまでも。
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遠くて行けない場所のこと
「人はうわべを見るが/主は心を見る」
(旧約聖書サムエル記16章7節)


遠くて行けない場所がある。

距離が遠いのも事実だけれど、感情的にずいぶん遠くなってしまっていて、というか距離も感情も近かったことなんか一度もなくて初めから遠かったような気もするのだけれど、それでもずいぶん遠く「なった」なあ、と思うのはたぶん距離とも感情とも関係なくて、時間的な感慨なのだろう。

だからたぶん、遠くて行けないその場所は、近くてもやっぱり行けないんだろう。

そう考えてみると、そもそもそんなに行きたいと思っていない自分に気づく。そして、そんなに行きたいと思わない/思えない、ということに軽く動揺しながら、行けないことにほっとしている自分にも、気づく。

でもやっぱりそこは、行かない場所、じゃなく、行けない場所、なのだ。
共有されなかった時間、語られなかった言葉、知らない歌と見たことのない夢、触れたことのない手、覗き込んだことのない目。それら多くの、存在しなかった過去に隔てられて。


初夏の庭からこんにちは
久々に庭のことなど。

昨年の秋~冬にかけての庭は何だか閑散とした感じだったのに(いちおう野菜も作ってみたけど出来は芳しくなかった)、春になった途端ハーブたちがぐいぐい巨大化してびっくりしている。
フェンネルはほとんど「樹木」だし、隣のクラリセージの葉はほとんど「団扇」だし、枯れて姿を消したと思っていたチャイブも、気がついたら復活していて可憐な花を咲かせた。ベランダ園芸時代からの「引っ越し組」アップルミントは、地面暮らしがよほど嬉しいらしく物凄い(普段「ものすごい」は平仮名で書くのが好きだけど、ものすごさを強調するために?漢字表記にしてみる)勢いで繁茂している。
他にはパセリ、イタリアンパセリ、バジル、ナスタチウムなど。
あと、蚊よけ効果を期待してレモングラスも。

↓↓野菜のほうはこんな感じ。↓↓

zucchini.png
minitomato.png<
okura.png








↓↓化け物フェンネルのbefore&after↓↓

レンガの大きさを参考に。

fennel_before.pngfennel.png
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