la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
大飯原発再起動/梅雨の晴れ間のスケッチ

昨日の雨に洗われた空、アスファルトから立ちのぼる湿度を含んだ熱気。すっかり梅雨らしくなった朝、子ツバメたちは細い翼をひらめかせて巣立ちの準備に余念がない。

彼らの落ち着かない様子を見ていると、いつも必ず、渡り鳥の本能について思う。このツバメたちは、秋になるとどこか暖かいところへ渡ってゆく。巣の中で口を菱形にして餌をねだっていた雛たちが、一日に300キロという距離をいっさんに飛んでゆくのだ。それも群れではなく単独で、あの華奢な翼ひとつで、太陽の位置を目印に、海を越えて。

秋の風が吹く頃、ツバメたちは旅立つ。「寒いところには餌がないから」という単純極まりない理由ではあるのだろう、それでも渡りの季節を迎えたツバメたちは、南へ、という強い衝動に突き動かされるに違いない。

そんなことを考えていると、私は決まって「一緒に行きたい」と思う。それも、かなり闇雲にそう思う。
ツバメたちの渡りの本能のひとかけらが、私の魂にすべり込んで来るのだろうか。それともそれは最初から、私の持って生まれた性質なのだろうか。

聞くところによるとツバメたちは、天敵に追われた時には時速200キロ近いスピードを出すのだとか。
渡りの道中、嵐に遭うこともあるかもしれない。
けれど、それでも一緒に行きたいと、私は思うのだ。


昨日は雨に振り込められ、ずっと、寝そべって本を読んだり読みながら眠ってしまったり、自堕落な1日を過ごした。
雨上がりには思いがけず夕陽が射して、外に出た私はそんな夏の宵の充実した空気を胸の奥まで吸い込み、それから部屋へ戻って、じゃがいもとピーマンと、冷凍したまま放ってあった牛肉を千切りにして炒め、オイスターソースで味つけして食べた。

日々の糧。

空を彷徨う魂に、そんなふうに「餌をやる」。食べている間の私はとても無心で、人間はやっぱり、人間である以前に生きものなのだなと実感する。

生きることを何とはなしに迷うようなとき、ものを食べている自分の「生きものらしさ」が私を繋ぎとめる。

人間は、本能よりはむしろ理性に依って立つべきだと、以前に書いたことがあったかどうか。単なる「生きもの」を自称するには、人間はあまりに影響力を持ち過ぎている。たとえば核兵器を、生きものとしての本能のままに利用してしまったらどうなるか。だからこそ人の世には法があり、理想があり、宗教や倫理や道徳がある。
けれど、自分があくまで「生きもの」であることを忘れてしまうのも、同じくらいに危険なのかもしれない。

私たちは、食べ、眠り、呼吸をする。
大切なのはそのことなのだ。
そして、世界中の生きものが食べ、眠り、呼吸をするのだということを(それぞれのメカニズムは素っ頓狂なほど懸け離れていても)認識できるということ、それこそが人間の特権であり、また、それを認識し続けることは、人間の義務でもあるのだろう。

7月1日、大飯原子力発電所3号機、再起動。
各地で行われているデモも、行政はまるで意に介さない様子。
そんなニュースを耳にしながら、デモに参加することすらできないでいる自分に、苛立ちを覚える。

私たちはもう充分に壊したし、もう充分に殺した。
償う術はなくとも、せめて二度と同じことを繰り返さないのが、当たり前の選択ではないのだろうか。
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