la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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初夏の空と祈りの歌と
「ゆつくりと治つてゆかう 陽に透けて横に流るる風花を吸ふ」
(河野裕子/梨木香歩のエッセイ『水辺にて』からの孫引き)


ほとんど子供じみて見えるほどの、「空色」の空。
引用した短歌は、まあ、時季はずれだけれど。

春のうちはまだもやもやと、何やら得体の知れない生命力が水面下で蠢いている感じ。黄砂のせいもあるのだろうけど、空の色も、ずっともやもやしている。
桜の花は好きではないので(別に根元に死体が埋まっているからではなく、あのモル的な、不明瞭にもこもこと集合している感じが苦手)、私はお花見には行かない。

でも葉桜の頃になると、私はやにわに活気づく。
この季節、世界がすっかり開き直るのが楽しい。
そう、すべてが「すっかり開き直る」のだ。

私の感覚では、春にはまだためらいや煮え切らなさ、何か決心をつけかねている気配があって、「生命力」というものを内に籠った何やら不穏なものに感じさせる。
けれど、初夏になると空はあけっぴろげな「空色」になり、生命の象徴が、曖昧な「桜のもこもこ」から「舞い飛ぶツバメたち」に変わる。ようやく心を決めた樹木たちがためらうことなく若葉を開き、緑がその濃さを増し、そして私は思うのだ、ああ、これこそが「生命」なのだ、と。

そこにはいっさいの詩情を拒否する凛とした強さ/明るさがある。
生命の、「生きるということ」の、束の間の全肯定。

気の遠くなるような秋の切なさや、潔い真冬の冷徹さも、嫌いというよりは好きだけれど。
でも、たぶん、私がいちばん好きなのはちょうど今の、初夏の頃だ。

病に伏せっていた実家の母が、今日は少し元気になったみたいでひと安心。
そんな歳になったのだなぁ、と、歳を重ねることの喜びと痛みとを噛みしめつつ。
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ありがとうラーメンズ。
「面白い人だと思われようとするとさぁ、無いから。俺の中にそういうのはさ。」
(片桐仁、「スタジオパークからこんにちは」での談話)


肋間神経痛が嘘のように治った話。
テレビを買えとアドバイスをくれた方々に感謝。
いや、テレビは買ってないし(ごめんなさい)相変わらず買う気もないんですが。

「テレビでも買ってちょっと世間の風を入れたら?」
「たまには口開けてテレビでも見ながらぼーっとしたら?」
みんな申し合わせたように、テレビ「を」ではなくテレビ「でも」と言うのが面白かった。

それで、とりあえずyou tubeでお笑いの動画「でも」見て笑えば治るかと思い、我ながらバカだなと呆れつつ面白そうなのを探していたら、昔ちょっと好きだったラーメンズのコントがたくさん公開されていた。
著作権上の問題はないんだろうか、と訝りながらも、まあ非常時(?)だし、と自分に言い訳をして再生。

面白い。すごく面白い。
でも笑うと痛い。めちゃくちゃ痛い。
痛いのたけど、それを堪えて見続け、ひとり笑い続け。
三日目、痛みが綺麗さっぱり消えていた。

ラーメンズ、すごいなあ(何で今まで忘れてたんだろ)。
まあ、他にも太陽を浴びたりお風呂に浸かったり、「もうちょっと軽く生きよう」と(重々しく)決意したりもしたので、100%ラーメンズのおかげかどうかは不明なのだけど。

それですっかりラーメンズのファンになったのに何だか「時すでに遅し」で、現在、一人はアート感あふれるソロ・パフォーマンスで世界的に?活躍中、もう一人は俳優と粘土作家を兼業?しつつ別の人たちとコントをやったりしていて、あんまり「ラーメンズ」としての活動はしてないみたい(でも解散もしてないみたい)。

彼らのコントは、基本的に道具を使わない。装置は白か黒の箱だけ(たいてい椅子か机になる)。それ以外の小道具や何かはすべてマイムで表現する、ピーター・ブルックばりのシンプルな舞台。これでマイムとか芝居が拙かったら目も当てられないことになるのだけど、ラーメンズに限ってそんな心配はご無用(「演技力の無駄遣い」とまで言われるんだから相当なものだ)。


「器用で不器用な男と不器用で器用な男の話」が何より好き。他にも「シャンパンタワーとあやとりとロールケーキ」とか「お時間様」とか「バニーボーイ」とか、あと、何でもギリギリで解決する(その割には竹馬に乗って変な歌を歌って、アドリブで下ネタ言って「あとで怒られる~」とか言ってるだけの)「怪傑ギリジン」とか。
あーあ、DVD買っちゃおうかなぁ。だって「零の箱式」とか、ツアーのタイトルだけでわくわくする(私は箱フェチなので)。

まあ、いろいろと詳しいことはさておき、世の中の肋間神経痛の皆さま、ぜひ一度ラーメンズのコントを見てみて下さい! もしかするとそれで治るかもしれません(もちろん、笑って痛いだけで治らなかったとしても責任は負いかねますが)。

ちなみに、私は天才との誉れ高き小林賢太郎(全コントの作・演出を担当。顔つきを変えるだけでまったく別人に見えてしまう=「小説家らしき存在」参照=辺り、イッセー尾形を超えている)よりも、常に相方の才能を称賛し劣等感すら抱いているらしき「ギリジン」こと片桐仁のほうが好きです。断然、好きです。

うーん、バカだなぁ私。
春のお散歩(自分セラピー)
昨日は仕事を休んで一日寝ていたのだけど、それで治るわけでもなさそうだ、肋間神経痛。
今日は仕事はもともと休みだったので、寝ているのはよして長い散歩に出てみた。

太陽の光を浴びるのは、セロトニンが欠乏しがちな人(私とか)にはとても良いことらしいので。

知らない間にすっかり春が来ていて、部屋にいると寒いのに、外は暖かだった。

白木蓮とか、黄色いラッパ水仙とか、鈍い黄金色のヘクソカズラの実とか、終わりかけの山茶花とか、白花の沈丁花とか、赤い南天の実とか。

ふだん、「予想外のところに生えている茸」とか、「何かを覆い隠している蔦」とか、そんなものばかり観察してしまう癖があるのだけど、今日は素直に、きれいなものを「きれいだな」と思いながら歩いた(というか、そう心掛けた)

↓月並みな写真に月並みなコメントを添えて載せてみます↓
脱・原因不明人生!
今まであれこれと身体に不調を来しては「どこも悪くありません」と言われ続けてきた。
だから今回も、どうせそんなことだろうと思っていた。

目が覚めた瞬間に左胸に激痛が走ったのは二ヵ月くらい前。青息吐息で病院へ行ったけれど、その時は「どこも悪くありません」だった。心電図も血液検査も異常なし。痛みそのものも数日で治まった。
それが数日前に再発。これは確実に死ぬなと思うくらいの痛さで、自転車を押してそれにすがるようにしながら(明らかに不審者状態で)再び病院へ。すぐ救急診療に回されて、体温計を脇に挟まれ加圧帯を腕に巻かれクリップみたいなので指先を挟まれ(血中酸素濃度を測定する装置らしい)、その後、採血。

採血は楽しい。自分で自分の手首を切って生きてることを実感するなんてとても怖くてできない私(普通か)だけれど、採血の時は、いつも血管に刺さった針や容器に溜まってゆく血をまじまじ見つめる。針を刺すとき大抵の人は視線を逸らすようで、時々それを待ってくれようとする看護師さんもいるのだけど、もちろん私は凝視をやめない。ああこれが生きている私の血なのだなと、しばし痛みを忘れて血液鑑賞(うっとりするほど美しいバーガンディ・レッド。間違いなくピノ・ノワールだ)。ついでに看護師さんの採血がすごく巧くて(「ちくっとしますよ」って、まったく何も感じない!)それにも感動したり。

↓長文です↓
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