la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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グラン・エシェゾーを飲んだ話。
「ワインの本質に届く言葉は、この世に存在しません。」
(ラルー・ビーズ・ルロワ)


窓からの明るい午後の陽射し。テーブルには白いリネンのクロス(高得点!)と、かなり高さのある生花のアレンジメント(こちらは減点対象)。
私が入っていった時には、N氏とH女史はもう席に着いていた。敵意を込めて黙ったまま、会釈もしないで私は二人の向かい側に座る。アレンジメントのおかげで女史の顔は半分も見えない。もうひとつ隣に置いてくれれば、N氏の顔も見ずに済むのだけれど。

さて、そのテーブルの上に、1本のワインが置かれていた。
抜栓済みだが、デキャンタージュはされていない。
ラベルに「Grands Echezeaux」の文字を読み取って、私は片眉を上げて見せた。DRCのボトルではないが(流麗な筆記体、文字だけのシンプルなラベル)、それでもグラン・エシェゾーには違いない。

しかし、目の前にいる二人は私の仇敵だ。どうやら何か含むところがあって、私を高級ワインで懐柔しようというのらしい。
N氏の合図で、ソムリエが恭しくそれを私のグラスに注ぐ。
アカシアの花と熟した果実、アプリコットや洋梨の豊かな香り。口に含むと、とてもふくよかで甘みを感じるほど柔らかい。余韻もきれいで馬鹿みたいに長かったけれど、微かに、何かが変だ、と私は思った。

ブショネ?
ブショネなのか?

テーブルの上にはコルクが無造作に転がっていた。下側に白い黴のようなものが見えたけれど、そんなにあからさまに駄目になってしまった味ではない。
いったい何がおかしいのだろう?

私はもう一口飲んでから、首を横に振って席を立った。
こんなもので私を釣ろうとしたって無駄だ。

外に出て歩き出してから、未練がましく私は思った。ソムリエに訊いてみれば良かった、と。せっかくのグラン・エシェゾー、健全ですと言われたら全部飲んでやったのに。

そこで、ぽっかり目が覚めた。
恒例の夢オチ。
もそもそと起き出しながら、「それにしてもあの違和感は何だったんだろう?」と、夢の中の味覚を反芻してみて、はたと気づいた。

…白ワインだったんじゃん!

そう、紛れもなく、私が夢の中で飲んだのは白ワインだったのだ。
うーん、馬鹿な夢を見た(でもちょっと楽しかった)。

↓追記、解説↓
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どくしょきろく、得点つき③
相変わらず本を、読んでばかりいて何も書かずにいる今日この頃。

『アウステルリッツ』W.G.ゼーバルト(75点)
旅と邂逅、駅、列車、失われた過去。とりとめなくとめどなく流れてゆくゼーバルトの語りは、思索的でとても心地良い。「アウステルリッツ」という字面からアウシュヴィッツを連想して手に取るのをためらったその予感が外れたことにほっとしていたら、後半やっぱりその話になってかなり参った(訳者のあとがきによると、ゼーバルト自身「アウステルリッツという名はアウシュヴィッツを連想させる」と語ったことがあるらしい)。
ゼーバルトが語られるべきことを語っているのは百も承知だ。けれど、私はアウステルリッツには現実ではない、少なくとも現実的ではない過去を望んでいた。忌避を、そして逃避を、読書において私は自分に許しているから。

『死者の百科辞典』ダニロ・キシュ(65点)
絶対に好きな感じだと確信していたのに、好きになりきれず残念。語りがあまりに俯瞰的で神話みたいな読み心地。好きな人は好きなんだろうけど(私は神話が苦手)。表題作と「赤いレーニン切手」あたりは映画のような後味を残してくれてなかなか良かった。
タイトルからしていかにもだけど、この作家もまたボルヘス風味。うーん、もっと好きになっても良さそうなのに。

『スピノザ』ジル・ドゥルーズ(点数なし)
私にスピノザは無理だ、と思った。あまりにも迷いがなさすぎる。キルケゴールが冷徹すぎて無理だったのと少し似た感じ。

『重力の虹①』トマス・ピンチョン(点数なし)
挫折。いや、読み手として挫折したのではなく、図書館で取り寄せてもらった本そのものが、かなり汚なくて。表紙だけならともかく中のページも救い難い状態でちょっと耐えられず…。
図書館の本は大切にしましょう。というのが、『重力の虹』に対する私の感想。

『ダロウェイ夫人』『フラッシュ』ヴァージニア・ウルフ(共に85点)
私はヴァージニア・ウルフを(何故か)長らく黒人女性だと思っていて、そして『ダロウェイ夫人』を(何故か)長らく、南北戦争絡みの黒人女性の一生を描いた小説だと思っていた。最近ようやく気づいたのだけど、どうやら私は彼女をアリス・ウォーカーと間違えていたらしい(たぶん「ヴァージニア州」のイメージとかもはたらきつつ)。
意外にも英国人女性だったヴァージニア・ウルフは背すじのすっと伸びた上流階級のご婦人で、彼女の小説もまた、背すじのすっと伸びた上流階級のご婦人を描いていた(皮肉で言うのではなく)。ロンドンの6月のある一日を、その同じ時間にそこにいた人々の視線を通して、丁寧に緩やかに描いた『ダロウェイ夫人』。詩人エリザベス・B・ブラウニングの生涯を愛犬フラッシュの視点で語った『フラッシュ』。どちらも、とても、素敵だった。
『ダロウェイ夫人』は、幾人もの人々の意識をそぞろ歩く感じ。主観が別の人物にふっと切り替わるときの、ウルフの足取りがとても軽やかで心地良い。
『フラッシュ』は、これはもう掛け値なしの純愛小説だ。バレット嬢とブラウニング氏の、そしてそれ以上に、エリザベスとフラッシュとの。バレット嬢の恋が彼女の主観で語られたなら、これはもうハーレクイン・ロマンスの領域だろう(ノンフィクションではあるけれど)。ただし、ここでそれを語るのは彼女の愛犬フラッシュなのだ。ブラウニング氏は、バレット嬢と自分との穏やかで満ち足りた生活への闖入者として扱われる。この犬はとても犬らしい犬で、それゆえ底なしに愛おしいのだ(敵意をたぎらせてブラウニング氏のふくらはぎに噛みつくエピソードなど、思い出しても胸がきゅんとする)。
こんな作家だとは知らなかった。
ヴァージニア・ウルフなんかこわくない、と言いたいところだけど、このすごさはちょっとこわいかも。

↓続きます↓
花には花の守りびとありて春炬燵
あ、これ季重ねになるのかな?

ともあれ、花には花の守りびとがいる。
そのことに、私はとても安堵するのだ。
だから私は、のうのうと炬燵にもぐっていられる。
ま、うちに炬燵はないけれど、気持ちの上ではそんな感じ。

もちろん、単純に女性を花に喩えること、そして男性をその守りびとに喩えることは、決して私の趣味ではない。だから、男性が花で女性がその守りびとってパターンもあり、という解釈をしてもらえばいいかな、と(たとえラフレシアみたいな奇態な花でも!)。

それにしても、みんな、大人になってきれいになってくんだ。別にひがみとか妬みとかじゃなくて、心底、そのことが嬉しい。それぞれに、辛いことや大変なこともある人生だろうけど、それでも、みんなできるだけ幸せでいてほしい。痛みとか悲しみとか、そういうものを避けるのでなく直視しすぎるのでもなく、それを超える歓びを、噛みしめていてほしい。

だから、このごろ嬉しい知らせが相次いで、私は少し浮足立っている。
幸せな笑顔って、ほんとに、うっとりするくらい素敵なんだ。

結婚、妊娠、出産。きっと、それぞれにそれぞれの幸せがあると思う。
だから今このときの幸せが、ずっと、幸せなままに続きますように。

あんまりお祝いのメッセージとかプレゼントとか、タイムリーにできない無精な私だけど。
本当に、心から祝福してるよ!!
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