la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
死ぬまでに飲みたい10のワイン
「深い森を散策する、夢見がちな貴族」
(ドメーヌ・ド・ラ・ロマネ・コンティ“グラン・エシェゾー”の評)


死ぬまでに飲みたい10のワイン?
そんな話を始めてしまったら、二ヵ月や三ヵ月じゃ終わらないんです。
いえ、きっと、一生かかっても終わらないんです。
本当は。
でも強引に、今日は時間制限を設けて「死ぬまでに飲みたい10のワイン」を決めてしまいます。何故かって? 音楽でも小説でも映画でも食べものでも、自分の好きなものを数え上げてそれについてあれやこれや考えるのって、楽しいじゃないですか。特に気分がくさくさしてる時なんか、もう、他に打つ手がないわけです。
ということで、タイムリミットは30分(短っ!)

以下、①造り手&ワイン名(同名の場合、造り手名を省略) ②タイプ ③産地 ④品種 ⑤コメント。ヴィンテージを指定しないのは、基本的に私がヴィンテージにさほどこだわらないのと、そもそもいつ飲むか決まっていないので「何年もの」というのじゃなく飲むときに飲みごろのが良いので。

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白と黒/そのどちらでもないもの
「僕たちは馬鹿だけれど、そこまで馬鹿なわけじゃない。」
(サミュエル・ベケット/うろ覚え、たぶんドゥルーズ=ガタリ『アンチ・オイディプス』に出てきた)


ドゥルーズを読みつつ、それとはほとんど無関係に、大阪市政に思いを馳せます(ついさっきまでクリスマスと年末年始についてのどうでもいい記事を書いていたのですが)。

さて私は大阪市民ではありませんが、もし過日の市長選の有権者であったなら、間違いなく橋下徹氏には反対票を投じたでしょう。確かに彼の言論は、間違っている、という反論を許さない強さと合理性とを備えています。彼が従来の政治に向けるすべての批判はまさに正鵠を得ていますし、何より巨額の財政赤字という事実がそれを裏付けています。現実にひどい赤字なのだから改めなければならない、無駄をなくし、怠惰な輩を排除し、合理化を進めなければならない。それを「間違っている」と言うのは、まさに至難の業でしょう。

けれど、「何かがおかしい」のです。

橋下氏と大阪維新の会、彼らの信念はビジネスの、「企業」のそれなのではないかと思うのです。企業においてはもちろん、「利益」を生み出すことが至上命令です。もちろん政治も資金あってのものなので赤字は危惧すべきものですが、それでも、政治の至上命令は企業のそれとは違うはずです。

ポリティクスとビジネスとは、決して同じ目的や同じ理念を共有するものではない。だから、ビジネスにおける定石を、そっくり政治に適用すべきではない。
そう思うのです。

政治の至上命令は、ここまで書いて何なのかちょっと断言できかねる自分も情けないのですが、少なくとも憲法は我々国民に、健康的であるばかりか文化的であることさえも「法的に守られた権利」として保証しています。
けれど、今の政治は、赤字を理由にしてかどうかは解りませんが、まるでそんなこと一顧だにしていないように思うのです。
法を左右する力を持つという意味で、政治は法律の上位にあり、倫理的な縛りという意味で、法律は企業の上位にあります。その政治に企業の利潤追求のノウハウを用いて、果たして政治のありかたは「より良く」なるのでしょうか(同じことが与党/野党のごたごたにも言えて、今はどこが政権をとるとか誰が首相になるとかそういう争いをしている場合じゃなくて、東日本大震災は過去の災厄ではなく現在進行形の問題なのだということの危機感を、何党だろうと自覚し真摯に向き合うべき時なのじゃないか)。

彼らの掲げる無機的で冷徹な「真実」。それは、正しい言論ではあるかもしれない。けれど、決して万民の幸福を願うものではない。

小泉純一郎、石原慎太郎、そして橋下徹。
批判にも動じない強いリーダーシップを持った政治家たち。
けれど彼らの才能は、政治家としてのではなく、実業家としてのそれなのではないかと、ふと思いました。
そして、そういう人物を政治のトップに望むということは、自分たちの主体性や決断力のなさを言明しているのと同じことなのではないかと。

人が誰かを頼るのは、自分ではどうしていいか解らない時です。
そんな時、誰かが「ここではないどこか」へ、有無を言わせず引っぱっていってくれることを人は望みます。引っぱられていく先がどこかということを、多少なりとも憂慮したりはしません。もしそこが思っていたほど楽しい場所ではなかったとしても、その時は、勝手に自分をそこへ引っぱっていった当の「リーダー」を責めれば済む話なので…。

確信犯的責任放棄。
彼を市長に選んだ大阪市民が取ったのは、そういう態度なのじゃないかと思います。
なまじ怜悧な頭脳を持つ他者にすっかり選択を委ねることの危険を、あらためて考えさせられます。
どくしょきろく、得点つき②
どくしょきろく②です。
近ごろ読書が停滞しているなと感じていて、感想文がいちいち長いのでそんなこともないみたいに見えるのだけど、冊数としては10冊程度。2か月でたった10冊って、記録的なローペースです。まあ12月は仕方ないか・・・これからまたガツガツ行きます!


『供述によるとペレイラは…』『ダマセーノ・モンテイロの失われた首』アントニオ・ダブッキ(ともに75点)
幻想作家タブッキがスペイン市民戦争を背景に描いた社会派小説? 有り体に言えば二冊ともそういう本。扱われている題材は同じ(罪なき者、無力な者を押し潰す醜い双生児としての権力と暴力。傍観の罪、悲劇としての理想主義の破滅)。少し前に読んだナボコフの『ベンドシニスター』(70点。ひどい残酷小説だった)も、よく似ている。
ノーベル文学賞、いい加減タブッキにやれよ、と思う。いや、バルガス・リョサはOK。トランストロンメルも(読んだことないけど多分)OK。でも、村上春樹とどっちにするか迷うのはNGだ。
ちなみに『ペレイラ』は映画化されてて、ペレイラ役がマストロヤンニ、医師役がG.ドパルデュー。私的には「それ逆じゃないの?」と思うのだけど…。

『ガラテイア2.2』リチャード・パワーズ(80点)三度目の挑戦でようやく読了。何せ「(大学時代に)最愛の物理を裏切って文学と寝た」パワーズのこと、膨大な理系の知識と膨大な文学の知識がぎっちり詰め込まれていて辛かった(まだバベッジとレイディ・アーダは解る、チューリング・テストも解る、でもニューロンやらシナプスやら神経回路網やらは…うう、駄目だ)。
リチャードが「H号機」に名前を与える瞬間のあの切ないような輝かしさ、レンツの研究室の扉に貼られた写真、愛と寒さとどうにもならない苦しさに満ちた日々の回想、最初の一文しか書けなかった小説と、書けなかった小説が持つ無数の「続き」。ダイアナと二人のこどもたち。
あまりにも、心をとらえるものが多すぎる(そこいらの小説家なら、パワーズの一冊分の素材を薄めて十冊くらい長編を書くところだろう)。
ああ、しかし、ちょっと今回だけは力不足で最後まで食らいつけなかった。途中からサブプロットがちゃんと読み切れなくなって、終盤で何のことを言ってるのか解らないくだりまであった。
悔しい。
手元に置いてじっくり読み直したいのだけど(役に立たない知識を貯め込む才能には恵まれているので、ちょっと勉強すれば何とかなるような気がする)、装丁がまったく私の趣味に合わないので買うのがためらわれる。もう少し文学的な装丁だったら良かったのに。
蛇足だけど、パワーズにチェス小説を書いて欲しいなぁ。

↓まだ続きます↓
2012年、この困難な年のはじめに
「KEEP A STRONG」
(日向武史『あひるの空』)

2012年の決意。

狼にはなれないとしても、羊には羊なりの強さがあるはず。

KEEP A STRONGという英語は正しくないのじゃないかと思うのだけど、この際そんなことはどうでもいい。
『あひるの空』は、きわめて爽やかな青春バスケットボール漫画だ。運動部に所属したことすらない(そして体育会系というカテゴリとそれに属する人々に対して常にアレルギー反応を起こす)私が、そういう物語に共感するのもおかしな話かもしれない。
第一、大人になったら人は漫画なんか読まないものだと思っていた。でも、私は(読む本の数を100としたら5くらいは)漫画を読む。小説に対するのとは違う姿勢でだけれど、私はけっこう真摯に漫画を読むほうだと思う。
漫画に対する小説の優位を私は否定しない、というか、経験上、小説を読むより漫画を読むほうがずっと簡単だ(同じ理屈で、スカラ座のオペラに耽溺するより劇団四季のミュージカルに興奮するほうがずっと簡単だ)。漫画のメッセージは小説よりずっと大衆に伝わりやすいし、ミュージカルの感動はオペラよりずっと大衆に伝わりやすい。

だからこそ、『あひるの空』は私の好きな漫画であり続けている。
あまりにも屈託のない青春漫画なので、気恥ずかしいところも多々ある。けれど、それはそれで良いのだ。
この漫画の魅力は、常に「持たざる者」を描こうとする作者の姿勢にある。まず主人公が身長150センチに満たないバスケットプレイヤー。小柄であることのコンプレックスや弱みが、そこから出発した糧として、プレーヤーとしての成長やチームの勝利に結びつく。そしてその姿がまた、別の「持たざる者」の糧となり、目標となる。

「持たざる者」の強さは、「持てる者」の強さより強い。
たぶん、この漫画のメッセージはそこに尽きるのだろう。

些か陳腐であることを承知で、私は2012年の抱負をこの漫画から引用する。

羊には羊の強さを。

優しさを手にすることはたやすい、けれど、本当に優しさを保つには強さが不可欠なのだと、心から思う。

そんな新年。

お正月に私が何をしていたかは、また後日に譲るとして。
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