la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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ゲテモノ喰いではないのだけれど

さて、毎年恒例、ボジョレー・ヌーヴォー解禁です。

今年は珍しく解禁当日に抜栓、というかスクリューキャップなので「捻栓」か? ようやく「自分はボジョレー・ヌーヴォーが嫌いだ」ということを認め、今年は形ばかり、ロゼのハーフでごまかしておく。

それが、ひどいことになってしまった。

ワインがではなく、夕食がだ。
ヌーヴォーを買いに行ったついでに売れ残りの「イカのスミ煮」なる缶詰を買い、よせばいいのに「パスタソースとして使えるのでは?」と思いつき、そのまま実行してしまった。

おかしいなぁ。イカスミのパスタって絶対こんなじゃないよね。

塩を足して、積雪かってくらい粉チーズ振ってごまかした挙げ句、スミマセン、残り二口くらいでギブアップ。

同じシリーズに「ムール貝のなんたら煮」とかいうのがあって、そっちは炒めたタマネギとトマトピューレ足したら結構、美味しかったんだけど。

ロゼのヌーヴォーについては、まぁ、特にこれと言って感想はない。信じてもいない神様に収穫を感謝するには妥当な飲みもの、という感じ。


そんで以下、全然、ぜんぜん、関係のない話(巨人の星の話)。
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世界の終わりと黄金(きん)のまどろみ
「すぐれた教養は、テーブルクロスの上にソースをこぼさないという点にあるのではなく、もしだれかがこぼしても知らないふりをするという点にあるんです」
(『中二階のある家』アントン・チェーホフ)

昔は解らなかった。
チェーホフの作品なんて全然。

『桜の園』では嘆いてばかりの人たちに苛々し、『かもめ』はいまいちピンと来なくて、『可愛い女』は何故かタイトルに苛々し、それでもたまに思い出したように戯曲や短編を読んできたのは何故だろう?

昼下がりの金色の光に包まれて、人々の記憶や夢想を巻き込みながらゆっくり進んでゆくカタストロフィ。世界の終わりがこんなふうであればいい、と、今の私はチェーホフを読みながら思う。世界の終わりが漠然としたままで訪れ、生々しい恐怖や痛みと無縁であればいいと。

それぞれの痛切な祈りと、微かな諦めが抱くもっと微かな希望と。
世界はそんなものに満ちていて、私はつい泣いてしまう。
私の涙には何の価値もないのだと、解ってはいるのだけれど。
どくしょきろく、得点つき
最近あまりに本を読み過ぎてちゃんと書評も書かずにいるので、まあ記録だけでも、と言いつつかなり長々と。
ひとつの記事をまとめるのが億劫になってきたので、これから時々こんな風にまとめて載せてしまおうかな。
ちなみに今、人生で初めて「買ったけどまだ読んでいない本がある」という状況を体験していて、困ったことに悪くない気分。

チェス小説を完全制覇?しようという試みは順調に進行中。
意外とつまらない作品が多くて面白い。

タイトルと著者名の後に百点満点の乱暴な点数をつけてみたけど、総じて得点が高いのは私もそろそろ何を読めば面白いかが体験的に解ってきていて、読む前にかなり選り好みしてしまっているから。

では、どくしょきろくへ。
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