la petit cuvee

“プチキュベ”と、舌ったらずに発音して下さい。 くれぐれも、「ヴェ」と下唇を噛まぬよう・・・。
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奇人変人は歌いながら歩く
「だから、すべての奇人変人に申しあげたい…独立独歩で行け。」(フリッツ・ライバー『歴戦の勇士』/ホラーSFアンソロジー『影が行く』所収)

何でまたホラーSFのアンソロジーなぞ。と自分でも思います。
でもゼラズニィが書いてたんで。

昨今じゃゼラズニィを読みたいと思っても、京都のジュンク堂を二軒はしごしても長編『光の王』と『地獄のハイウェイ』しか見つからないんです。ブックオフでも黄ばんだ『光の王』しかなくて落胆してた時に、古本の神様の小さな目配せがこの『影が行く』を手に取らせたんです。

あんまり今の私の精神状態にとって良い本ではなかったし、まだ読んでない作品もあるのだけど。

中村融の編だけあってさすがに秀作揃いだし、ゼラズニィはやっぱり、かっこよかった。引用したフリッツ・ライバーも、なかなか面白かった。

それにしても、フリッツ・ライバーって覚えのある名前だなと思ったら、ゼラズニィとスティーブン・ミルハウザー(最近私を魅了した作家。柴田元幸の訳で出てる)を求めてジュンク堂をはしごした時に買った『モーフィー時計の午前零時』のタイトル作品の著者だった(前に読んでこのブログで書いた時は図書館からの借りものだった。しかしチェス小説とSFとにこれほど同じ作家が名を連ねているとは…)。

ともあれ。
奇人変人についてライバーの作品からもう少し引用すると、「彼らはこの画一化された時代にあって個性を生かしつづけている者たちだ。マスコミや世論調査や大衆的人間の侵入をはばんでいる者たちだ。頭のいかれた連中や奇人変人に関してほんとうに憂うべきはひとつだけ、(中略)血も涙もないやつらが、金のために彼らを食いものにすることだ。」この文章に、引用部分が続く。「独立独歩で行け。つまらないものをつかまされたり、値打ちものを奪われたりするな。賢く勇敢になれ…」。

何だか、かなり勇気づけられてしまった。
自分が「奇人変人」だと認めるにやぶさかでなくなってしまった。
そうなのだ。
茨の道ではあっても、他の道よりは性に合うのかもしれない。

そんなことを、「ホラーSFアンソロジー」を読んで感じてます。
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リアル?シリアル?マテリアル?
「…、わかってあげられるようになっていた。」
(『となり町戦争』三崎亜記)

恒例の「今さら読書」の第何弾だか。
三崎亜記は、新聞か何かで写真を見たこともあるはずなのに何故か女性だと思い込んでいて(同じ「アキ」という名前でも佐藤亜紀は何故か男性だと思い込んでいた)、今回、読み始めて「あれっ」と思った。別に、「男性の書くものは常にどうこう」というのではない。私はむしろそういう区別を忌避したい性質だ。けれど、この『となり町戦争』は、書き手は絶対に100%、しつこいけど完全に、男性だ、と(批判的に)確信させる要素に満ちていた。

「わかってあげられるようになっていた」。
わかって「あげられる」ようになっていた。
何だ、その「上から目線」は。

と、三浦しをん調に。

そして、執拗に語られる「リアリティの欠如」。
飛び交う銃弾も血飛沫も見えないその戦争で、広報に載っている「戦死者」の数だけが増えてゆく。そんな状況の下で、「僕」は恐怖をまるで体感しない。その戦争に、現実味を見出さないのだ。

おいおい。
その戦死者数こそが「リアリティ」だろ! と私は思うのだ。
公的に印刷された戦死者数を「リアル」に捉えられない「僕」の感覚は、TVニュースで流れる外国の戦争や他府県の災害にも、リアリティなど感じないだろう。メディアを介した情報は既にリアリティを失っている。「僕」は、自分に手の届く極めて狭い世界をしか「リアル」と認識できない。
もともとリアルな世界というのは自己を中心にして同心円状に薄まってゆく(たぶん)ものだけれど、それにしてもこの「リアル」は狭すぎる。

だって。
すべては現実なのだ。
感傷的な音楽や過剰なコメントで脚色された報道でさえ、現実には違いないのだ。
それにリアリティを感じられないということこそが、最大の問題ではないのだろうか?

(今ここにある戦争を拒否できるかって? しろよ! と、再び三浦しをん調に。)

話を小説のことに戻すと、私はこの小説を、斬新だとも独創的だとも感じなかった。

異を唱える向きには身も蓋もない要約を。
これといった個性のない男性主人公。ある日とつぜん彼を巻き込む奇妙な事件。困惑しつつも状況に流されてゆく主人公。そんな中で彼と行動を共にすることになる見知らぬ女性。そして、大した理由もなく恋に落ちる二人。

ね、飽きるほど見てきたストーリーでしょ?

しかも、確かに覚えのあるこの気持ち悪さは、明らかに村上春樹のものだ(妙にぎこちない不自然な会話文まで、まるでそっくりじゃないか)。
伊藤たかみの『ロスト・ストーリー』もこんな感じだったっけ…。『となり町戦争』には辛うじて、「戦争」というものに対する(日本の)現代人なりの考察が含まれているのが救いと言えば救いだろうか。

まあ終始「上から目線」で申し訳ないのだけど、結論としては、私はこう言いたい。
「私にはわかってあげられない」。

そして最後の仕上げに、三崎亜記の公式サイトを携帯から見てみようとアクセスしたところ、こんなメッセージが表示された。
「申し訳ありませんが、リクエストされたページでは最新の技術が使用されているため、ご使用の携帯では利用できません。」

ムキーッ。
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